進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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遠い夏の日の想ひ出...
2019.07.28
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毎年の今頃になると思いだす。
♫ 夏が来れば思いだす 遥かな尾瀬 遠い空...♫...ではないけれど、自分がまだ小学生の低学年だった50年も前の思い出だ。
あの頃は今よりもすべてが「ゆっくりとした時間軸」のなかで動いていたように思う。
子供たちの世界も本当のゆとりがあった。
それは何というか一種の「分業」のようなもので「野球ならA君にまかせておけ」とか「アイツは家族でHawaiiに行くから凄いナ...いいねぇー」「Bにはソロバンで誰もかなわないよ!」...etc.(これは「et cetera」の略だ。生徒から何でブログに高速道路の料金所ETCが出るのかと質問された!?)
というように何かで優れている友人を純粋に尊敬していた時代だった。それは今のようにやたらめったらに「人の幸福や幸運」に嫉妬しないおおらかな時代でもあったのだ。
私はそれなら何と思われていたか....
それは「釣りバカ」だった。
それも「親子で釣りバカらしいよ..」なんて言われていた。
単なる釣りだけでなく、わが父は大変な変人で会社を経営していたが「自分の釣りを実行」するという目的(定款?)で設立したような会社だった。
「東京湾の木更津あたりでイシモチが入れ食いだ!」と言う情報が入ると会社は臨時休業になる。その分を他に移動して営業日になるから社員たちはエライ迷惑だったろうなぁ...
まあ...親父にして見れば旧軍の海軍で滅私奉公の訓練、やがて米軍との戦闘。戦後は進駐軍に牛耳られて数年間を過ごしたんだから、今度は自分の思い通りに生きてみたいと思っても不思議ではなかったろう。
...というcontextであったわけである。
普段は土日と祭日しか、如何に親父とは言え息子を学校を休ませてまで釣りに連れてはいけなかったのだが長期休暇vacationの「夏休み」は凄いことになった。
通常の人は仕事をしてその合間に釣りをするが、親父は違う。
「釣りの合間に仕事をする!」のだから....
あれでよく会社が運営できて、生活できたものと感心する。
究極の理想Life Styleだったのかも知れないが....
小学校が夏休みに入ると、さあ大変だ。40日間(当時)の休みをフルに活用して「釣り+旅行」するゾ...と父が言うから、終業式が終わって帰宅するとすぐに「宿題開始!」
中学の定期試験前なみに小1のころから勉強した。
それは、7月中に「夏の練習帳・読書感想文・自由研究」のすべての課題を終わらせておけ!と言うのが父の「命令」であった。
まあ...親父としても、息子が宿題・課題を終わらせていないという心理的負担を負ったまま釣りや旅行に連れて行くのは親として良心の呵責が多少なりとあったのかも知れない。
息子(私)が課題を終わらせていることを確認するや否や....
母も一緒に行くところがあった。
それが「富士五湖」+「甲府のブドウ狩り」。
今でも精進湖の湖岸に行くと、あの時に釣れていた「大きなヘラブナ」を思い出す。
そして、精進湖から西へ長い長いトンネルを抜けると「急勾配+急カーブ」連続の坂道だ。日光のイロハ坂なんて問題にならないくらい...ひたすら下って行くと甲府盆地だ。
現在はwinery(ワイナリー)とか「ぶどうの丘」なんて言うシャレたnamingだが、半世紀前にはブドウ農家が全部「ブドウ狩り」を夏休み中は連日開催であった。
東名高速が開通したばかりの当時、父がどういうrouteで甲府へ行ったのかを検証してみたくなる....これが「血」というものか。
記憶にある限り毎夏に「精進湖」に立ち寄っていたことから考えると、東京から東名で富士I.C.まで行き、西富士有料道路+朝霧高原有料道路....で本栖湖まで上り、さらに樹海を越えて精進湖へ行ったのだろう。
ちなみに「西富士・朝霧高原有料道路」は30年くらい前に無料となった。
還暦を過ぎた今でもあの子供の頃の「一瞬の感激」は忘れられない。
精進湖の巨ベラ(山上湖に生育する1尺:30㎝ちかいヘラブナ)...甲府盆地のブドウ畑には終日蝉が嬉しそうに全力で鳴いていた。
アブラゼミ・ニイニイゼミ....そして明方と日没前の「一瞬」にしか鳴かないヒグラシ。カブトムシや大きなクワガタが「ブドウの木」にtemporary timeを全力で生きていた。
何故か、これらはすべて7月末までの思い出である。
8月は祖父の生家のある「外房」へ一泊で...或いは日帰りの釣りに出かけたものだ。
今でも思い出すのは、親父の釣りはroughだったことだ。
たとえば...根がかりで切れると困るからといってやたらと「太い仕掛け」にしていた。
フネではないから基本は投げ釣り....の父は当時開発されて市場にでたばかりの「ジェット天秤」をいつも使っていた。
この25号~30号ジェット天秤に「伊勢尼13号の鈎+ハリス5号」なんて言う信じられないようなド太い仕掛だった。
これに築地のエサ問屋で買い込んだ「岩イソメ」のデカいのをつける。
こんなroughな仕掛けでも、当時はバンバン釣れた。太いエサの岩イソメにシロギスが
飛びついて来る....それも30㎝超えの尺ギスだ。
その場所は「外房の勝浦」
♪ 夏が来れば思いだす...♪