進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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Sad Destiny...
2019.07.27
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悲しい運命...がある。
そして、その運命以上に悲しいのは...自分の力が及ばず運命を変えられなかったときだ。
塾の中で毎年のように繰り返される...そう「同じ運命」がある。
それは、中3になってふと気が付いてみると「自分に国語力がない」ことである。それも30年前くらいの中学生に比べると、驚くほど....悲しくなるくらいに国語の力がない。
そのことに...いやそのことをどうして今まで重大に思わなかったのか。親も何故気づいてやれなかったんだろう?
国語の力とは「日本語を母国語」としている人間の言語学上の諸能力の総和である。
「読み・書き・話し・聴く」の4方面の力を言う。
私は親が一緒になって子供と机を並べて勉強したり・読書したりすることには反対である。親には親の仕事があり、家庭の維持だけでも大変なのだ。
中学になって決定的にものを言うのは「読解力」の有無である。
わけても「長文読解力」を問う試験問題が如何に多いことか....
親の責務は幼稚(保育)園から小学校までの10年弱の間に「本を読んでやること」だろう。ここで本の面白さ....本の中には書いた人間の心やら、何か大事なmessageが隠されているんだ...ということに気づかせてやること。
自力でここに至るには大変な労力と精神力が必要だ。
論語の出だしは「学ぶとは....まねぶの意なり」とある。子供が幼少の頃には親が教師であるから、子供は親がすることを見て「まねぶ」のであり、親の「言葉」を聞いて価値観を「まねぶ」。
私は長い長い間、塾で教えてきて思うのは「国語力」とはパソコンのOSと同じだということである。OSがダメならどんなに良いソフトをいれても使えないパソコンである。
母国語の日本語がしっかりしていると、英語の理解が早く正確になる。数学の応用・文章題、図形の証明が書ける。社会・理科の理解と記憶を正しく早くできるようになる。
逆はもう可哀そうな結果だ...もう一生に禍根を残す。
塾には「この子はどうしても国語が伸びないんです。国語さえ点数が上がればN高校に行けるのに...」と言って親子で相談に来る例がある。
そういう親に限って「チョッと要領よく勉強すれば国語なんて伸びるはず」くらいに考えているから困る。
それは「漢字や故事成語、熟語、文法」の範囲なら高校入試の出題された過去問の範囲を勉強して暗記すればある程度までは有効と思う。
では中学生の実情は...その日常はどんなものだろうか?
ほとんどの中学生は自分が選んだ部活で運動部のいずれかに入っている。
レギュラーの選手になりたいため、感心するくらい練習に打ち込む...土日も練習か対外試合である。
よほど体力があり精神力も強い子が、帰宅後に机に向かい塾・学校の宿題をやり眠い目をこすりながらテスト勉強に取り組む....
他の生徒たちはシャワーを浴びて何か食べ..スマホをやって眠くなりバタンキューとなるのが普通のパターンだ。
...となると好きなことは「全力で」やり、イヤなこと・苦手なことはあと回し..またはやらない。
読書などはその「あと回し」にされる典型である。
このようにして、国語力...わけても「読解力」と「作文の力」がほとんど皆無のまま中2...中3となって行く。
世の中に逆行しても、国語を大事にする道を行こうではないか。
因みにアメリカではhigh schoolで、多くの科目で「与えられた課題についてのreportを期日までに書いてきなさい」というreportが試験の点数と合わせて「成績」評価される。
生徒は必死になって教科書の範囲を読み、図書館で参考文献の該当箇所を有料コピー、netからのコピペの場合には出典を明示して自分なりのreportを書きまくる。
アメリカのhigh schoolは多くの場合6年制だから、この「読む・参考資料を探す・書く」ことがほぼ毎日繰り返されるから逆に「プリント・問題を解く」日本式の勉強では通用しない。
これがhigh schoolのsenior(日本の高校)や大学へ行ってからの「小論文」..やがては卒業がきまる「卒業論文」の出来具合に繋がって行くから、みな必死である。
部活・スマホ...と好きなことしかしない日本人学生との決定的違いは何か?
それは母国語を大事にし、磨いているかどうかなのだ。