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「バルトの学園」

2019.07.27

かつての3国同盟ではトンデモナイことになったがそれは「第2時世界大戦」であり、日本の直面した多くの戦闘は米軍相手の「太平洋戦争」であった。

この話はそれを数十年遡る.....

時は第一次世界大戦。日本は当時の日英同盟のゆえに参戦し中国本土の「青島(チンタオ)」ではドイツ守備軍と激戦となった。

ドイツ軍捕虜の約6000名は日本各地に急造した「捕虜収容所」に......

そこではさまざまなdramaが展開された。

「捕虜など生きていればいい」と言う収容所から...捕虜の自治を重んじて「音楽・油絵・を許し、パン・sausageの生産を奨励」したという。

映画の中で収容所長の日本陸軍少将の言う言葉には「重い」ものがあった。

帝政ドイツ軍の捕虜たちに日本陸軍の所長が語る言葉......

「私は会津(Aizu)だよ.....諸君の気持ちはよくわかる」

説明するまでもないが、会津藩(福島県)は江戸末期にあって徳川幕府から「京都守護職」を命じられた。

言うなれば「勤皇・佐幕」....天皇を大切に思うが、徳川の幕藩体制を維持するために命をかける.....というdilemmaに苦しみ、その結果は女....子供に至るまで新政府軍に突入して果てた。

所長は、この会津の生きのこりであった。

同じような話を旧海軍航空隊だった伯父に聞いたことがある.....

同じ進駐軍でも(米軍の範囲らしいが.....)出身地でかなり違うものがあった。

第7騎兵師団(東京都の管轄)でも都民に優しく接したのは、米本土でも南部出身の将兵だったと聞く。

「あなた方の悔しい気持ちはよくよくわかります...私も父母も同じだったから」
これは彼らの先祖がアメリカの南北戦争で北軍に敗北した結果の話。

可能な限り、収容者のドイツ軍人を「人間として」扱おうとした旧会津藩出身の収容所長の管轄となった彼らは幸せであった。

今なお、当時のドイツ軍人の子孫は収容所のあった地を訪れては感謝の気持ちを伝えているという.....

その昔、平重盛が父清盛を「積善の家には余慶あり...と申します」と諫言した言葉は時代と国籍を超えて真実となったように....自分には思えてならない。

歴史を学ぼう。

そうしないと....目の前の損得だけを追う人生で終わる。

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