進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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私の英語修業...
2019.05.17
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父は旧軍の海軍軍人だったが何を思ったか、少なく不安定な収入のなかから高額の学費を支払って幼稚園だった私をアメリカ人経営の英語学校に入れた。
所は埼玉県。東京まで通勤電車で1時間以内の新興住宅地。みなちっぽけな一戸建てか公営の5階建て団地に住んでいた時代だ。
授業以外の休み時間にAmericanの先生たちがFEN(Far East Network:横田空軍基地からの極東米軍放送)を聞いていたことを思い出す。
まあ、ここでは「RとL」「VとF」など絶対に日本の学校では教えてくれない音声面の指導を徹底して受けた。とにかく、日本語にない「音」なんだから....日本人にはできるはずのない発音を徹底して「植えこまれた」。...they were planted in my brainだ。
これは後々に、大変感謝することになった。
私自身がまだまだ...と思うのだが、皆さんは高校を出たあたりで英語の勉強をやめてはいないだろうか?
「カタカナで書く英語」はまず通じない、それは日本英語だ。
これは敬愛する恩師T教授が私たちにいつも言っていた言葉だ。
「キミたちは私が教えたんだ。Major English(英語専攻)なのだから、カッコつけてカタカナ英語など使ってはダメだ。正しい日本語か適切な訳語がなければ英語のまま使うことだよ....」
だからT先生の弟子を自認する私はできるだけ自己の文章中に使う言葉は「英語そのもの」にする傾向が強い。これは絶対にカッコつけではない。英語をカタカナで書こうとするたびに温厚な先生の声が聞こえ来る気がしてならない..「ニシカワ君、違うだろ」。
中学の英語は絶対に身につけなければならない...dead lineである。単語も文法も。
高校英語は中学の英語を基礎にした...up gradeである。
高校英語の修業に耐えられないなら.....
あえて、ご批判を覚悟でいうなら「英語を単位をとるだけのminimumな勉強」なら誰でもできる。中学・高校の中間や期末テストであんなに勉強したのにいまはもう忘れてしまった...という方は多いのではないだろうか。
その実例と心理を逆手に取った「6年間勉強したのに外国人と話もできない」とか「使えない英語を学んでもムダ」などの英会話教材の会社や短期留学を斡旋するhomestay業者が大いに利潤を得ることになる。
T教授が英語学の講義でおっしゃった一言一言が自分には宝物になった。
「私たちは日本生まれの日本人なのだからNative(英語圏で生まれ育った人間)と同じように発音できなくても恥ずかしいことではない。それより正確・豊富な語彙で自分の考えを「私はこう思う...それは~だから」と堂々と言える勇気があるか...勇気を支える学びがなされているか。それが問題です」
多少表現は違うかも知れないが、このような内容の話を折に触れては話してくださった。
私もそうして来た。
どんなに発音がNativeに近くなっても、外国人と澱みなく話せるようになったとしても話す「内容」が空っぽでは仕方がない。最近そういう日本人が増えて来た。
自分ではそれという自覚症状がない...だからますます「早く・Nativeのように!」症候群は加速度を増す。
Are you really a Japanese....?国籍もわからないような日本人になって恥ずかしくはないのか?
まず日本人としての歴史教養を学び、自分の自分なりの意見を言えるまでに高めること。
それと並行して英語を学び最終目標は「考えた内容を正しい日本語と英語の両方で同時に話せる+文章に書ける」こと。
もう英会話学校のテキストのようになった中学・高校の英語教科書だけでは難しいだろう。自分なりのneedsに応じた英語を学ぶことが大事だ。それが一生楽しみながら英語を学ぶ原動力ともなるだろう。
高校のときに通っていた英語塾はまるで江戸時代末期の蘭学塾...松下村塾の雰囲気だった。私は文法的に正しいと思った訳でも一言一言に日本語の奥深さと美しさがあるべきだと考えては英和辞典と同じくらい「広辞苑」をひいた。
私は...古い人間である。