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館山の海...その3.

2019.05.13

日本の温帯域の海はその地域差がや特色が強く、私はすべてが好きだ。沖縄やHawaiiの亜熱帯の海も夕方の真っ赤に燃える太陽が水平線に沈むあの瞬間は大自然の美である。

でも意外に...それは温帯の内湾の海が「ある海域」から突然に「外洋」に変化するという純粋な驚きを感じることがある。

それが房総半島の館山以南の海だ。

変化の具体的な始まりを経験則上で言うなら...それは東京湾に「バーン」と突き出た細長い地形の「富津岬」からだろう。ココが東京湾を「内湾」と「外海」に恰も、officeのpartationしているかのように分けているように思う。

更に半島沿いに南下すると冨浦という地名がある。

ここは漁港だが、西に向かって富津岬ほどではないが岬がある。
それが「大房岬」(おおふさみさき)だ。

ここには伊豆の大瀬崎近くにあるような海蝕洞があり、私の幼児の頃の記憶とつながっている。

父は終戦で海軍から復員(軍籍を離れて故郷に帰ること)してきて、私が生まれたころはちっぽけな会社を経営していた。

進駐軍(....当時は在日米軍をこう呼んだらしい)の将校が家族を連れて日光の中禅寺湖や箱根、鎌倉・逗子の海でCampしては夕方にBBQして友人を招き楽しむ姿を父は意識したらしい...(仮にも帝国軍人だったのに?)。

...と言う訳であったから、父は「会社のものはオレのモノ」とばかりに会社のクルマを狂ったように運転しては全国(実際は本州の関東・東海圏か..)を釣り+泊まり歩いた。

まだコンビニもない時代、何も無理しなくてもいいのに(戦争に負けたのは事実なんだから)今週は千葉、来週は利根川河口の銚子...とメチャクチャな計画で釣りを敢行した。

家族はいい迷惑だが、一緒に行って嬉しそうな顔をしないと、どんなめにあうかわからない。イヤイヤ....そんなことが、と思うだろうがそういう時代だった。

深夜に帰宅した親父が玄関で叫ぶ....「いま帰ったゾ!」「ウナギを買って来たから食え!」....「いまからイイ話をしてやるから全員聞け!」

そんな理不尽な父親というか「父権」がまだ残存していた時代だった。

冨浦の大房岬はまさにそういう最中(さなか)に行った思い出(想ひ出)の場所だ。

クルマで東京の自宅を出て京葉道路の渋滞で夕方になり、何時に千葉・木更津を通過したのかさえ覚えていない。

気がつくと...冨浦「大房岬」の洞窟のなかにクルマごと入っていた。

でもそこで見た館山湾の夜明けの美しさと言ったらない....同じくらい美しい夜明けは数十年後に谷川岳で見たのみである。

「荘厳」という言葉はまさにこのためにあったのではないか。

利根川河口の「ハゼ」に始まった釣りとの出会いが急速に深まったのも冨浦だった。
とにかく、良く釣れた。4mくらいの粗末な竹竿で、それこそ足元に落とすだけでいろいろなサカナが釣れた....ハゼ・シロギス・イシモチ・カレイetc.

嬉しかったなぁ...

冨浦の大房岬から見ると館山は真南である。そして冨浦の大房岬と館山で「館山湾」を形成している。

館山湾の沖には日本の最東端の「サンゴ礁」があることは意外に知られていないようだ。
だから、大房岬から館山湾の海岸はまるでHawaiiか沖縄のようである。

館山から更に南に行くと「波左間」の海に出会うけれど、もうその「海」は亜熱帯である。とても日本とは思えない紺碧の海だ!

黒潮の支流が絶えずこの付近にまで流れてくるから、真冬でも菜の花が咲きモンシロチョウが飛んでいる。

私は小学生のときに見た感激は今も忘れない....

その感激が「海と釣り」につながる。

館山の海...その3.

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