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三種の神器

2019.04.19

いま数十年に一度の時代が変わる瞬間である。

西暦の他に邦歴としてその国独自の年号を使う国は世界の中でとうとう日本だけになった。天皇の御代(みよ)が変わるときに新しい年号によって天皇の在位を表す。

とうとう私も昭和・平成・令和の3つの時代を生きてしまった。明治と大正は父・伯父・祖父の時代だ。各時代ごとに心新たに別の時代を生きる..という「精神の時間と空間」を日本人は与えられていると自分は考える。

そして天皇の御代が変わるごとに....それは天皇の御稜威を伝える儀式がとりおこなわれ、そのときには天皇の権威の象徴である三種の神器が次代の新天皇に受け継がれる。

これは歴史上「剣・勾玉・鏡」の3つである。

恐れ多くも3つの神器には由緒あり高貴な名称がついているからNetでお調べいただきたい。すべては日本書紀の須佐能の尊(みこと)の神代(かみよ)の時代に由来する。

実はこの三種の神器と平家は密接に関係している....そうこれ以上悲しいことがあるか..と言うくらいに悲しいつながりがあったのである。

平清盛の娘は後白河法皇の長男である高倉天皇の后となり、お二人の間には玉のような男子が誕生した。この子が安徳天皇である。

北陸からの源氏勢力(源義仲:頼朝の従兄弟)が京の都を占領する前に平家一門は敵に利されるすべてを焼き払って西海(瀬戸内海)へ脱出した。

戦に利あらず...壇ノ浦ですべての平家の者が入水する中、御年(おんとし)6つになる安徳の帝は清盛の奥方である二位の尼(従二位に序せられていた)にしっかりと抱かれて西方浄土へ旅立った。

この時に...二位の尼さまは皇室に伝えられる三種の神器をも身に着けて壇ノ浦に入水したのだった。

壇ノ浦の合戦の直後に、頼朝の命を受けて平家追討軍の大将だった源義経は瀬戸内のそれこそすべての「海女」を投入して壇ノ浦の海底を探らせた。

結果...「勾玉」と「鏡」は源氏の手に渡ったが、剣(くさなぎのつるぎ)だけは手を尽しても見つからなかった。

後年になり、天皇の勅命によって壇ノ浦の本州側には「赤間神社」が建立された。
壇ノ浦の平家の怨霊(英霊)を慰めるためである。

今でも地元の漁師は「赤間さま」の前の航路をフネで行き来すえるときには「赤間さま」に無礼があってはならない...として船上で履物を脱いで正座しお辞儀をして通過する。どんなに急いでいても、個人的な事情があっても必ず実行されている...古くからの慣習である。

源氏の鎌倉幕府が1192年にできたのだから、その前年までに平家が滅んだとすればもう800年以上も前の話になる。

このあたりの心的描写は小泉八雲(Lafcadio Hearn:日本に帰化した英国人)による作品「耳なし芳一」に詳しい。

歴史の必然であろうが....平家は哀れである。

「討たれし...平家の...」という哀調を込めた古い歌を子供の頃に聞いた記憶がある。








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