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環境に優しい?..はウソ

2019.03.06




青い空...白い雲。ゆったりと回る風力発電の羽根、一杯の日の光で電気を起こす太陽光発電....。

Facebookならすぐにも「イイね!」しそうである。今の学校教科書にも盛んに使われるimageの光景である。

再生可能エネルギーは英語の' renewable energy 'からの日本語訳なのだが少し意味が離れていることにお気づきだろうか?英語のrenewableと日本語の「再生可能」とは違う。

先日も言ったけれど私は天邪鬼(あまのじゃく)だ。

周囲の大多数が「そうだ!」という時に素直に同調できない。

「待てよ...そうかな?」「そんなことがあるもんか!」

これでどれだけ救われたか、何度も人生崩壊の危機を回避できたかわからない。

ユダヤ人は「全員一致で反対ナシ」の議決は無効とすることはご存じだろうか。

彼らは人間は不完全な存在という確固たる信念を持つから、人の手による何かが100%ということには神に逆らう別の力が入り込んでいると考える。

言いたくないが...「神に逆らう悪しき情念」の塊は何か。

古代のギリシャ哲学は「多数決は衆愚政治の始まり」と言った。

これは少し言い過ぎの感がある...でも正しい少数意見が存在することを「数」の力で「一方向に決める」ということはいつの時代にもあった。

この時に「大きな力」「大多数の意見」「国が先導(扇動)する流れ」に乗ってしまえば楽だ....その勢いに乗って、反対する者や異を唱える者を押さえつけ黙らせれば快感である。

自己の人生の矛盾やうまく行かなかったことの責任転嫁ができるし、心理的な充足をえられる。実に爽快だろう。一方でtemporaryな整合性をつけたところで失った何か大切なものはもうかえっては来ないだろう...さぞ悲しいだろうと同情する。

明治生まれの祖父が言っていたが「気がついたら戦争になっていた」そうである。不完全な人間はこんなことの繰り返しである。

再生可能エネルギーは万能だろうか?

何かその普遍性を疑問に思うことさえ時代に逆行するものとして「非国民」のように見られてはいないか...

伊東市では今「大室山の南・東の麓の大規模太陽光発電」の資本が入るかどうかで、地元の住民と業者・市当局・県までを巻き込んで訴訟沙汰にさえなっている。

「CO²(二酸化炭素)を排出しないクリーンで環境に優しい」なら忙しい地元住民が自分の時間を使ってまで反対したり沼津地方裁判所の案件にしたりはしないだろう。

日本が手本としたドイツの再生可能エネルギー政策は失敗した。政府もmediaもこのへんの事情を何故か公表しない。不安定な再生可能エネルギーでは安定した電力保持ができずロシア連邦からのパイプラインによって莫大な「天然ガス」を買っているのが現状だ。

まさか昔の三国同盟のよしみがまだあるのではないだろうが、日本政府もmediaも失敗は失敗として自国民に知らせる義務があるだろう。

国民をバカにしないで欲しい。TV・新聞のmediaも同じ論調でいれば国民は「なびく」とでも思っているんだろうか...もう従軍慰安婦の一件は冷却期間がすんだのか?

まあ..言い出すとキリがないので、平和休題だ。

クリーンだ!環境に優しいんだ!CO²を出さないんだ!地球温暖化を防げるし!

こうプラス面だけを強力に前面に押し出すことで反対や疑問視する意見を封じ込める。国策として再生可能エネルギー採択の機運を高める....

賛成しない人間、異論をとなえる者、疑問視する学者...を異端視する風潮がないだろうか?いや、そこまで行かなくても「耳をかさない」のが社会の風潮だ。

これでは現代版の切支丹狩りではないか。

敢えて疑問と思うことを考えることは国の将来をあやまたないために必要と思う。

「エネルギー密度」という言葉がある。専門でないから私にも詳細は難しいが「ある一定のエネルギーを得るために必要な設備面積」を言うとのことである。

前述の再生可能エネルギーの具体例である「風力発電」「太陽光発電」は既存の水力・火力発電と同規模のエネルギー(この場合は電力)を得るために5倍の敷地面積を必要とする。

狭隘で土地価格が高い日本で、広大な敷地がなければ...否「ないなら森林伐採してつくって」でもしないと建設が難しいのが風力・太陽光発電の再生可能エネルギーの設備には絶対欠かせないinitial cost(..land )なのである。

大体原発反対の方々があの東北大震災以来「原発を廃炉に!」「再生可能エネルギーを促進!」と主張しているやに思えるが....

では5倍の敷地を必要とする風力・太陽光発電の設備のために、地元の共有林や入会権(これは民法で明治以来確認され保証された物権(債権より強力な対抗力を持つ権利)である)を犠牲にしてしまうことは、立派な「自然破壊」ではないのか。

その具体例がいま地元の静岡県伊東市で太陽光発電(ソーラーパネル)業者と地元住民の間で係争中である。

もし、再生可能エネルギーが「クリーンだ!環境に優しいんだ!CO²を出さないんだ!地球温暖化を防げる」であるなら、何故ここまで伊東市民の地元民が頑張って建設に反対するのか?

伊東の山林を買収し「再生可能エネルギー」を設備しようとしているのは韓国資本である。北海道の二の舞になっていいのか!?

あとこれは国もmediaも言わず、業者はひた隠しにするが「太陽光パネルの寿命・耐用年数は10年」である。回収し処分するには莫大な費用+環境負荷をともなうことはご存じなのだろうか?

伊豆の稲取の山には林立して巨大な風力発電の設備がある...その羽根に渡り鳥だろうか、大小さまざまな鳥が衝突しては足元に落ちて死んでいる。

自然環境保護の団体が何も言わないのも不思議である。

一人の釣り人としても、漁業者の立場からも伊東「八幡野(大室山南麓)」の森が無くなれば、落ち葉・枯れ木を通して海にもたらされるミネラル・山の栄養の供給が絶たれるだけでなく、大雨の時にはむき出しの土砂が海に流れ込むという最悪の漁場破壊をもたらすことは火を見るよりも明らかである。

逆説的に漁場の沿岸に漁師が植林する「真鶴岬」や北海道の「江差」では安定した豊漁をもたらしているではないか。

山梨県の清里では冷涼な気候を求めて、東京から転居した方が「再生可能エネルギーの太陽光」で人生が変わるほどのむごい体験をしている。

清里と言えばAnglicanのキリスト教宣教とは別に「日本一の星空」「八ケ岳から下りてくるヤマネや野鳥のすばらしさ」を実感できる数少ない聖地だった。

しかし...後継者のいない牧場や山林に目を付けた業者がいた。

「再生可能エネルギーの太陽光パネル」のグループだ。

「後を継ぐ方がいなくて大変でしょう...放っておいても固定資産税は毎年かかりますし、当社の資産運用プランにお任せいただければ、座っていて利益がありますよ」

ああ...なんと抗しがたい。

要するに「遊休地に太陽光パネル設置工事」をすれば土地所有者(地主)の毎月の電気使用量はタダになるし、余剰分は指定の銀行口座に東電(或いは北陸電力か関西電力)から振り込まれますよ...という訳だ。

永遠には生きられない「自然人(法令用語)」ならどちらを選ぶだろう。

清里の森に「終の棲家」を立てた移住者は数年後に家の周囲を「太陽光パネル」に囲まれて夏には室温50℃の地獄になった。

当然のこと民事訴訟となり..和解。

和解条件は「当該家屋の全室に業者負担においてエアコンを設置。使用電気料を期限の定めなく支払うこととする」

誰もが万能と思う再生可能エネルギーの太陽光・風力発電の公にされない実態はこれである。

まるで...「聞き流すだけで英語がペラペラに!」と同じではないか。
誰も苦労して大学の英文科を受験しなくなるなぁ....ホントなら







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