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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

韓国...Forever

2019.02.10

もう昔の話になってしまうが、自分が大学の歴史学科にいたころ後輩でK君という学生がいた。韓国語がよくできて第2外国語も韓国語を選択していた。夏休みなどの長期休暇には他の学生がアルバイトや友人同士の旅行など..出来なければ毎晩安い居酒屋で飲んでは憂さを晴らしているようなときに、彼は語学研修のために気がふれるくらい熱い真夏のソウルの外国人用の語学研修所で過ごしていた。

英語もかなりできた。のちに私が英文科になったときには「英語史」とか「英語発音学」のような特殊な専門科目の講義(大学では授業と言わない)を選択してはせっせと勉強していた。

驚かれるかも知れないが、英文科の専門科目は英米の大学で使われているテキストを輸入している場合が多いから当然英語で書かれている。英語で書かれたテキストを死に物狂いで予習して教員の講義に出席し、単位修得のための試験を受けるのである。

無断欠席は「即単位不認定」なんていう厳しい教授もいる...reportと修了試験で学生が書いた日本語の文章は「誤字・脱字・送り仮名・文法のミス」まで徹底してcheckされる。ミスはどんどん減点されて行く減点法を取るから首席学生でも満点はあり得ない。

英文科の教授・教員の言うには「キミたちは外国語である英語を本気で学んでいるのだから、まず母国語の正確な文法と豊富な語彙が身についていなければ話にならない!」

「まして教職課程を取っていて将来中学か高校の英語教員を目指しているならなおさらだ。日本語のあやふやな英語教員に教えられる生徒は被害者だよ...」

後輩のK君は他科(史学)の学生だったが、熱心に英文科の老教授の話に耳を傾けていた姿が懐かしく思い出される。特に驚愕すべきは彼の類(たぐい)稀な記憶力だった。

試験範囲の全ページの「古英語」をそのままspellingミスもなく暗記しているのには驚きを超えて眩暈がしたくらいだ。

瞬間、司馬遼太郎の作品「胡蝶の夢」に出て来る暗記の天才の若き蘭学者を想起した。

英語史という科目は文字通り「英語の歴史」を扱うのだが、日本語で言う古語..そう平安や鎌倉・室町にころの「古英語」を学ぶ。

初めて全文が英語で解説されたテキストを見て驚いたが、その内容たるや想像を絶していた....

高校まで、そして大学で強制的に学ぶ「一般教養科目」までの英語が如何にわかりやすい現代versionの英語だったか..を思い知らされた。

中学で英語の一般動詞には規則変化とメチャクチャに変化する不規則変化があることを教えると、多くの生徒は驚く。中には...ガッカリしたり...怒り出す(全部edを付けろ!と叫ぶ)短気な生徒もいる。

古英語の複雑さと言ったら「....英語の動詞にはその変化に於いて強変化動詞と弱変化動詞があり...強変化する動詞は今日の不規則変化動詞になり、弱変化動詞が規則変化動詞になった...」なんて言う英語の解説を英語で理解して行かなければならない。

英文科の3~4年になると卒論の準備もあるので時間が足りない。自動的にすべてのテキストを日本語に訳し直して勉強する余裕がなくなる....

すると最終的な方法をほとんどの学生が誰教えることなく使うようになる。

テキストを英語のまま勉強して日本語に訳さない...翻訳している時間などないのだ。
reportも英語で考えている...英米人の教員と英語だけで話すように気が付くとなっている。必要なところだけ、或いは日本語で述べよ..という指示がある以外は英語onlyが楽になってしまう。

こうなると居酒屋で酔っ払ったとき....グッスリと寝込んだ時の寝言が「英語」になっている非国民的な体験を友人から指摘されるようになる。

国籍も人種的にも日本人なのだから、この状況はある意味においてエゴであり自分本位の言語活動なのかもしれない。

以上の英文科学生と同じ試練をK君は敢えて選び乗り越えたから尊敬に値する。

私と唯一の違い....それは彼が教職課程を取らなかったことだけだった。

ある日のこと...そうあれは大学の学生食堂でK君と昼ご飯を食べていた時だったか...「竹島」の帰属問題の話になった(なってしまった...)。

私は「江戸時代から幕府の許しを得て島根県の漁師がアシカ猟(漁?)をしていたんだよ。太平洋戦争が終わってまだ間もないころに韓国の李承晩(イ・スンマン)大統領が一方的に海の上に韓国領の線を引いたんだ。日本の漁師も漁船も韓国の海洋庁や海軍に拿捕されてプサンに連行されたね。漁船・漁具のすべてを没収された。漁民の釈放のために多額の保釈金も支払ったじゃないか」と知っている限りを話した。

K君は「ニシカワさんがそんな思いやりに欠けた人とは思いませんでした!ボクは韓国に留学もしました。韓国人の友人もたくさんいるんです!どんなことがこれから起きてもボクは彼らに銃を向けるなんてできません!そのくらいなら彼らに撃たれて死にます!日本の領土が少しくらい無くなったってそれが何ですか?!昭和20年に戦争が終わるまで日本人が彼らにどんなひどいことをしたのか...ニシカワさんは知ってるんですか!.........
尊敬する先輩と思ってましたがニシカワさんを見損ないました!」

あの時に私は勇気をもって言えばよかった.....

それはわかる。そういう話や偏見があったことも聞いている。でも韓国併合以来本土の発展を犠牲にしてでも韓国の学校・病院・道路・港湾の整備に日本は多額の税金をつぎ込んだのだ。日韓基本条約の1965年の時も国が傾くくらいの「お金」(財源は日本国民の税金)を支払って過去を清算したのでは?そのお金を時の韓国政府と朴大統領がどう使ったかは国内問題なのだよ....と。

あれから何年たっただろう。
 
あの時のN大経済学部の学生食堂の1コマを今でも思い出す。

純粋なK君の涙をいっぱいにためた「恨」の目と大して美味しくなかった「ハーフカレー」(国境線のように半分がカレーで半分がハヤシの..)味が妙にsynchronizeして脳裏には鮮やかに蘇るのである。あたかもカレーが日本で、ハヤシのルーが韓国のように。

思うにK君は韓国に恋したのだ。

人間は恋をすると...どんな相手を好きになるかで、人生は変わる。

彼も韓国を好きになって人生が変わったのだ。

それは誰も責めることのできない....人の恋路を邪魔できない。

もうK君と会うことはないだろう。

それがどれほど悲しいか....

Nobody knows my sorrow.

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