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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

JAL123便...

2018.08.12

今でも昨日のように覚えている。

確かNHKで終戦日も近いので第2次世界大戦の特集か何かを見ていたら突然画面が臨時ニュースに変わった。

1985年のあの瞬間からもう33年になるのかと思うと感無量だ。

とにかく信じがたい起こるはずのない航空機事故だった。

JAL123便の使用機材はボーイング747 SRだった。米軍のB-52を民間用に安全性を極限まで高めて開発された機種だった。

ボーイング747は通称「ジャンボ」。ワイドボディーの機体で500人という信じがたい乗客を運べる驚異的な運搬能力を持っている。

皆さんの記憶にあるように、それまでの海外旅行は一部のお金持ちのものだった。
それが1980年代に入り世界の空をジャンボジェットが飛ぶようになると庶民にも十分手が届くようになった。当時のJAL PACKだったか...飛行機とホテルをセットで予約して現地では個人の好みでoptional tourとするスタイルが大人気になったものだ。

後々の調査でJAL123便の事故原因がボーイング社の「修理ミス」と分かったが、原因が分かったところで失われた500人以上の乗客と乗員の命は帰らないではないか....

この機材は何処かの空港で着陸時に「しりもち事故」をおこしていた。機体後端を強打したから内側の圧力隔壁に無理な力がかかりdamageを受けていた。

本来の修理マニュアルに沿えばリベットを2列の縦に打つべきだったのに「1列」だったそうである。

偶然事故直後に上空を飛んでいた米空軍の輸送機パイロットが事故現場の座標を横田TACANに従って報告したが、このよう情報が役立てられた記録はない。さらには生存者の救助のために赤外線暗視装置を装備した米軍ヘリが既に現地上空に到着寸前に日本政府からの要請で引き返したとのことだ....

Japanese must be saved by Japanese...だったか。

当時私も若かったからどこかでこれを聞いて怒りのあまり涙が滲んだ記憶がある。

今は相模湾上空から墜落までのcockpitのようすをPC検索で探すと容易に「ボイスレコーダー」を聞くことができる。

この時代のボーイング747-SRには「機長・副操縦士(Co-pilot)・航空機関士」の3人がcockpit内にいた。

ここではとても最後まで必死に乗客を守ろうと努力した悲鳴に近い状況を表現できない。
高濱機長は海上自衛隊の航空学校卒でのちに日本航空に採用された技量抜群のパイロットだった。自分の責任ではない「機体の修理ミス」で操縦不能とは...さぞ悔しかったろうと察するのみである。

Pre-recorded Master Cautionが「Pull-up! Pull-up!」と音量いっぱいに鳴り響く中、機長の「アタマ上げろ!」と叫んだ瞬間には胸がつぶれる思いである。

そのむかし、まだ沖縄が米軍の統治時代に宜野湾だったか..小学校に米軍の戦闘機が墜落して多数の児童が亡くなった事故があったことを思い出す。

あの墜落した空軍戦闘機もやはり台湾で着陸時に接触事故を起こした機体だった。台湾で修理したが修理が不完全で沖縄那覇上空で' un-control'(操縦不能)になりパイロットは最後まで海に機体を持って行こうとしたが間に合わずパラシュート脱出。

小学校の校舎に機体は激突大炎上して多数の児童と教職員が亡くなった。
米軍の命令で沖縄中の医師が事故現場に集められたと聞く...

全ては御巣鷹山と同じだ。

どんなに努力しても、嘆いても失った命は魂は帰らない。

今日から15日の終戦記念日までは黙祷の毎日だ。

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