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奨学金...破産?

2018.02.12

最近よく見るニュースがこれだ....

自分の子供が大学進学で使ったことがある方か、或いは親戚の子が大学進学にあたって「奨学金の保証人お願いできないかな?」と頼まれた経験がないと現実感がないかもしれない。

そもそも「奨学金制度」は日本の場合どういうものか?詳細をご存じだろうか。
この理解がしっかりされていないように思う。

わかりやすく言えば「無担保で無利子(或いは低利子)で借りられ、卒業後に20年かけて返済する」お金を奨学金機構から借りるのである。めでたく大学に進学できた学生は卒業後に返済をすればよい。

このように書くと容易なものに思えるが、実際に卒業後に定職に就き正職員で採用になる場合ばかりではない。本人が返済できない場合で「人的担保(ようするに保証人)」を立てているなら、保証人が全債務を負う。

破産とは企業の場合に限らない。個人なら裁判所が破産宣告をするとこの「奨学金保証人」の場合なら財産を差し押さえられ換金され返済に充てられる。毎月の給与・収入の中から可能な返済額が強制的に奨学金機構へ返済される。官報に住所・氏名が掲載され引っ越しや旅行の制限まである....そこまでを覚悟してその子の保証人になることだ。

大体において「奨学金」という名が良くないのではないか。何かその学生が大学の名誉になる良いことをした...或いは極めて成績優秀だと認められた...という場合に大学から当該学生に支給される「ご褒美のお金」という響き..のようなイメージがないだろうか?

ここで言う「奨学金」は低利ではあるが立派な「金銭消費貸借契約」である。要注意だなぁ...と思う。

この場合誤解や将来の悲劇を避けるためにも名称を銀行並みに「進学ローン」とか「大学生活支援ローン」とかに変えるべきだろう。

海外で奨学金と言ったら英語の' Scholarship 'だけを意味する。この語には極めて「人物+学業優秀」であり申請を受けて大学の奨学金支給委員会の審議を通過した...という意味までをも含む。

だから..win a scholarship(奨学金を勝ち取る)と英語では言う。英語圏の国では奨学金は大学の名誉となるような学生が懸命に勉強して「勝ち取る」ものなのである。

この部分が保証人を立てさえすれば、或いは保証機構制度を利用して一定の金額を支払えば融資される日本型の奨学金とは全く異なることをわかっていただきたい。

現実は厳しい。

今の日本に学歴社会が存在することは確かだ。でも高卒・専門学校卒・短大卒・4大卒の差は以前ほどはない。昇任人事ではあるかもしれない...

ただ半世紀の50年前のように「大学さえ出れば..」という社会では最早ない。

明治時代から戦前までの「学士さま」...「末は博士か大臣か」という夢の時代は過ぎ去り「石を投げれば大学生にあたる!」くらいに急増したのが現状である。

経済学で言えば....希少価値がもはや無くなった状態なのである。

だからそこまでして...親戚のおじさんおばさんにまで迷惑をかけて4大に進学する意味があるのだろうか?

因みに都市部の私立大学に入学、4年間をつましく暮らしても授業料+生活費でちょうど1,000万円かかる。これは安めの文系の場合だ。理系の学部なら実習費がかさむので1.5倍~3倍は必要だ。

実家から援助を受け、自分でもバイトをし、さらに上記の「奨学金」を借りて...なんとか4年間を単位不認定にならないよう頑張っている。これが日本の大学生の現状である。

企業の投資と利潤で考えるなら「過大投資」にはならないことを祈る。

人は国の宝...とは言うが。

その本人に「艱難汝を珠とす」とも言う。

本人にその自覚があるのか...親の自己満足の延長線にあったりしたら最悪である。

私がむかし聞いた大学受験の話にこのようなものがあった。

「地方から大学受験のために上京したが受験料を支払ったらもう金がない。しようがないので駅員に怒らながら東京駅のホームで七輪でパタパタと実家から持ってきた干物を焼き、メシを焚きながら寝泊まりして3日間の試験を過ごしたものだよ..」

今なら絶対に不可能だ。でも駅員や国鉄職員(JR.になる前だったからか..?)には温情主義がかろうじて残っていたのか...これは実話だった。

当時半世紀も前の大学生は入学後にサークル活動に精をだし、スマホを使いこなす..使用分は親の口座から..なんていう学生は皆無だった。

時代が変わったんだ...と言えばそれまでだ。

でも新聞を朝夕に配達しながら大学を出た学生はいくらでもいた。

私が微かな記憶にあるのも西川の本家の苦学生たちだ...当時いや戦前から祖父は東京港区の高輪に「品海社(ひんかいしゃ)」と言う大手牛乳会社の販売網を作ったのだった。
調べていないから詳細はまだわからないが大正時代からかもしれない。

ここには都内の各大学に通う学生が寄宿していてウチで3食をお腹一杯食べられて家賃もタダ....のかわりに朝夕の担当区域の牛乳配達をしていたのだった。今は同じシステムで「新聞奨学生」というものがあると聞いた。

当時の大学生は実家に迷惑をかけず、でも自分の守備範囲でどこまでできるか...?を懸命に考えて勉強していたのだ。

だから親類の誰かに保証人を頼みさえすれば大学の学費と生活費は大丈夫と踏んで容易に進学を決める昨今の若者の気持ちには危うさを感じざるを得ない。

自己責任回避の始まりである。





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