進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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オレ...燃えてるんスけど
2017.12.09
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彼は塾生である。身長高くアスリート...いわゆるスポーツマンのイケメン高校生だ。
まあ今どきの女の子にモテるタイプだろう。好青年でもある。
彼が言う...「先生、オレ今ものすごく何をやってもうまく行くんです。勉強にも燃えてるんス。この勢いのまま受験しろと親もいってます。ヨロシクオネガイっす!」
とにこやかにアタマを下げる.....
ここで若者の「盛り上がり」を潰したらイケないんだが..一瞬(私は)言葉を失った。
彼の卒業も近いから、ことを荒立てたくない。でも心の燃え上がりと実際のM君とは随分違うのである。言葉と現実との乖離が激しい...これほどの乖離もない。困ったなぁ。
度重なる無断欠席と毎回の遅刻・宿題は絶対と言ってもいいくらいやってこない・教科書を持ってきたためしはない・授業中の集中力の限界は1分間が限度・わからない問題はできる生徒の答えを写すのが勉強と考えている・国語の力に大いに問題がありほとんどの漢字が書けない・「~について述べよ」式の記述式問題は1文字も書こうとしない.....
私はM君が塾に入ってから数年間を見てきたが、明るく良い生徒ではあった。
ただ家庭の方針なのか、好きなスポーツはすべてを後回しにして最優先だった。
塾を休んでも学校の宿題をやらなくてもスポーツの練習には絶対に行く。試合が近づくと全ての「知力・体力・精神力」は試合に勝つためだけに集中される....
くりかえすが決して「悪い」子ではありえない。
でも、じっくり本を読んで読解力や文章力をつけていくことはなかった。「次の文章を読んで作者が...をどう考えていたのか...文字以内で述べなさい」という問題を見る時のM君を見るのが私はツラい。すまないが目をそむける。
彼が頑張るのはすべての勉強の中で瞬時に答えが出るか出ないかの「〇✖」の問題か「短答式」の問題だけなのである。
記述式は初めからまったく手を付けようとしない....書かないのだ。
私はM君が可哀そうでならない.....何故こうなるまで放っておいたのだろう?
結果を予測しながらあえて放置するのは法律上の「未必の故意」にあたる。
すべての教科の基盤が「国語」である。
これを無視しての勉強は付け焼刃に過ぎない。日本人にとっての国語はパソコンにおけるOSに相当する。
文意を読み取れない、自分の心の思いを文章にできない....
失礼を覚悟の上で申し上げるなら....それは好きなことだけを全力を尽くして頑張る本人+それを「よし」とした家庭、の価値観決定の責任であろう。
だから私は「自己責任」「成果主義」の2つは将来の日本を亡ぼすと思うのだ。
どんな教科の理解も、外国語である英語でさえも「本人の国語力」によって理解される。
スポーツは青少年の健康な身体をつくるために必要だ。
でも一方で、学びの優先順位を間違えるとトンデモナイ結果になる。それが「自己責任」というのではあまりに残酷過ぎないか....
挨拶も靴の脱ぎ方さえ知らず、社内文書も書けない人間が就職試験で採用されるか考えていただきたい。会社は日本社会で活動しながらも目的は社益(会社の利益)追求なのだ。
わが子・教え子の輝いている姿はまぶしい...
でもその一方でその子が一生をどう生きていくのかを心配するのが本当の愛情ではないのか、と考える。それは10年後或いは数十年後であろう。
遥か将来のその時に子供が悲しみ・苦しんでいても、私たちはそこにいない....
今の世に生きる厳しさを時間のあるうちに子供に伝えるのは親の義務だと思うのだが....
トモダチ風の親は子供を不幸にしてしまう...これは実例なんだから否定のしようがない。
We're approching to Kiyosato which is situated at the foot of Mt.Yatsudatake.
I do believe that Kiyosato , especially KEEP , is the very examples of God's will......Every time I see Mt. Yatsudatake ,I can't stop my adoring God.
Police, press,or priest....nothing is going to stop me !