進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     | お店のミカタ https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/ わかるまで教える。生徒の能力を引き出す...この2つを可能にするのが塾です。 https://asset.omisenomikata.jp/Hp360/9e/71/3089811/3089811_af652a9e71_header_logo_pc.png 進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/ 【日記】 今日のアジ... Sat, 20 Apr 2024 19:32:51 +0900 2381164 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2381164 今日のアジ...なんてタイトルで書き始めると、いかにも毎日釣りに行っているような印象を与えてしまう。でもこう書き始めたかったんだから仕方がない。<br /><br />釣り友のSさんは御前崎に住んでいる。会社に勤めながら米や各種野菜を自分の農地でつくっている。御前崎と言えば駿河湾の南端。沖へ出ればもう外洋の波。マダイやカンパチなど大物釣りの根拠地。でもSさんによれば御前崎から出港すると大波そして...大波。大物が釣れるけれど当たり外れがあまりにも大きいのだそうである。<br /><br />...という訳で「美味しいキアジを家族に食べさせたい」気持ちでSさんは沼津の湾奥にやって来た。諸般の事情で出港がビリになったがアジポイントへ急ぐ。<br /><br />牛臥からの方位はSW(南西)210&deg;で駿河湾を渡り対岸へ。<br /><br />朝方の風もやみ、真冬の海用の防寒ジャケットは小春日和に暑いくらいだった。風浪もやみ凪(なぎ)になった。<br /><br />「よーし...釣るぞ!」と魚探で探ると水深30mの海底付近に反応アリ....いや待てよ、これはアジ釣り外道(目的外のサカナ)のサクラダイだな、と推測する。<br /><br />アジ釣りには数学の公式のような常識がある。それは「アジは海底から5m上」という基本。これはアジの習性の研究からではなく、大昔からのアジ釣り漁師が体験的に理解し獲得したアジの基本習性なのだろう。<br /><br />魚探には反応がないが、海底から5m上の水深25mに仕掛けを落としてはサビいて(コマセのアミエビがアジの遊泳層に届くよう仕掛けを上下する)アジの群れを寄せる。<br /><br />さすがは一流ポイントだ。5分もしないうちに水深23~25m付近にアジの群れがやって来た。「来た!釣るゾ!」<br /><br />ここからは「アジを仕掛けにかける&rarr;口切れしないように巻き上げる&rarr;鈎を外してクーラーボックスへ!」という手順をいかにsmoothにおこなえるか...で釣果の差になるからばかにできない。2時間なら15匹以上の差になるだろう。<br /><br />Sさんも私もお互い何匹釣れたかなんてまったく考えていない....そういう信頼関係であり決して競争相手ではないから気が楽だ。趣味の世界にまで勝ち負けの論理を持ち込むような愚かなことはしたくない。<br /><br />結果...2人ともキアジ・クロアジ(マアジ)まじりで30匹前後の嬉しい釣果だった。<br /><br /><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/9b/87f8e636864353fffc14192758740d43.jpg" alt="" width="439" height="306" /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> 【日記】 何処へ行く....日本 Sun, 14 Apr 2024 20:51:21 +0900 2380054 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2380054 こういう時こそ目を見開いて(刮目して)Newsを見ることだ。<br /><br />岸田首相がアメリカ上下院議会で安倍首相に続き9年ぶりに演説した!<br />日本のmediaはあまり強調しないが、これは凄いことなのだ。<br /><br />アメリカとの同盟国の中でも国賓待遇ということはまずない。まずない国賓待遇で日本の首相を迎えている....そこにアメリカの日本に対する期待を思わなければならないだろう。<br /><br />日本の平和と繁栄は何故か?<br /><br />もちろん終戦後の日本人の血のにじむような努力の積み重ねがあったからだ。80年に及ぶ忍耐と努力....如何に周辺諸国にあざわられても日本の将来...未来のためにわが子やわが孫のために一生を捧げつくしても悔いない。そうした1億人の捨て石の上に築かれたのが今の日本なのだ。<br /><br />アメリカは明治以来の日本が目指した「アジアの盟主となって周辺国を導き、欧米のアジア侵略100年の歴史を覆そう」とする日本の精神が二度と起こらないことを根底にアメリカは日本の「教育・政治・宗教・財政」のすべてを180度かえたのだった。<br /><br />お陰?....で戦後の日本人は親米というか日本が何か?国家とは何だ?...と言う疑問さえ思いもよらないヘンな人間に育った。<br /><br />考えるのは「損か...得か?」「自分に有利か不利か?」...総じて今この瞬間が「楽で心地よいか....苦しくてイヤか?」がすべての価値判断の基準となったのではなかったか。<br /><br />民族の歴史・宗教・伝統を疑問に思うように操作された教育によって一定の新しい価値観に導く....それが日本を占領した連合国のleaderであるアメリカG.H.Qの究極的な目標だったのである。英語が堪能な多くの日本人も当時日本の民主化と称して協力した....まあ歴史の悲劇であるし必然だろうけれど。<br /><br />長くなったが、当然の批判と反論のご意見を覚悟で申し上げる。<br /><br />アメリカはその極東戦略として.....日本を地理的にも日本列島を共産主義の南下を食い止める防波堤と考えているという事実だ。沖縄などその究極的な具体例ではないか。<br /><br />日本は明治以来アメリカとは不思議な縁で関係して来たのだが、北にソビエト(ロシア連邦)と北朝鮮...さらには中華人民共和国と3つの共産勢力が現れた今では、それらに与するか...それともアメリカに従うか...の選択肢になる。<br /><br />太平洋戦争(大東亜戦争)の結果、連合国....の中でも最たるはアメリカに降伏し、進駐軍の上陸を許したのだからこの段階で日本はアメリカと「運命共同体」となったことを覚悟したのだと考えられる。<br /><br />当時は....言いたくも考えたくもないが「アメリカ進駐軍は神さま」だった。<br /><br />そのアメリカに....である。岸田首相は英語だったが&nbsp; ' We are with you....'「私たち日本はあなた方とともにあるのです」とアメリカ上下院議会で演説した。<br /><br />かつての敗戦国....アメリカの思うような憲法さえも押し付け認めさせた国のどうしようもない(どうしようもある)国の日本の首相が...こう言ったのであるから凄い。<br /><br />Epoc makingな一言ではないだろうか。<br /><br />軍事上の同盟国であり貿易外交では二者一体と考えられたとしても、これは考えられない歴史上の一言になると私は思う。<br /><br /><br /><br /> 【日記】 悲劇はなぜ起きるか... Sat, 13 Apr 2024 21:21:43 +0900 2379916 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2379916 不合格....これほどの悲劇はないだろう。特に幼稚園・小学校・中学校までを居住地の公立で過ごしたなら高校入試はある意味において人生初めての「振り分け試験」となるからだ。<br /><br />今回の県立高校試験において地元の伊豆伊東高校では20名も不合格となった.....<br /><br />ここにはいろいろな事情というか前提条件があった。まず、自分の受験校を考える時に今では「前年度の内申点・学調テスト・部活動で県大会へ行ったか...」など様々な情報の中で方向を探ることになる。<br /><br />その中で一番考えるのは前年の入試でその高校を「何人が受けて何人合格したか?」ではないだろうか。<br /><br />伊豆伊東高校の場合、前年が普通科・ビジネスマネージメント科も定員割れしていたことが今回の悲劇につながったのだろうと考える。<br /><br />要するに....言葉は悪いが「甘く見た」のだ。<br /><br />前年に定員割れしているから今年も受験者全員が受かるだろう....というのはいかがなものか。沼津高専だって前年の合格しやすかった「科」は今年の最も合格率の低い「科」になっているではないか。<br /><br />もちろん、県立高で不合格になっても2月の受験で私立高にはみな合格しているから中学浪人にはならないが。<br /><br />不合格になった生徒たちがそんなに劣っていたのか....決してそんなことはない。<br />逆に合格した生徒たちはそれほどに優秀だったのか?<br /><br />それを決めたのは何だったのか?<br /><br />一言でいうなら「受験までの総和」だ。<br /><br />それは、高校受験までの勉強の積み重ねは当然であるとして....それ以外の何かだ。<br />勉強以上に優先したものがなかったか。<br /><br />部活・家族旅行.....それらは決して間違ってはいない。むしろ良いものだろう。<br /><br />でも...言いにくいが、心のどこかで「....なんだから今日は勉強はいいだろう」という免罪符になってはいなかったか?<br /><br />部活で疲れ切ったわが子に鞭打って勉強しろとは言えない。でも子供はそれを言えない親の心を知っている。<br /><br />もう20年以上も前の話だが、受験前の年末に大事な家族旅行だから...とハワイに行った子がいた。やはり不合格の結果だった....<br /><br />偶然そうなのかも知れない。<br /><br />でもどうだろう...小学校のころからの話だけれど....<br /><br />本を読む習慣がなかった。習慣づけを誰もしてくれなかった。算数の計算力...とくに割り算やメートル法がわからないままになった。でも、スポーツクラブでは充実した時間があった。逆にゲーム...スマホ...友人とのLINEで寂しくはなかった。<br /><br />自分が「何がわからない」のかわからないまま中学になり....気が付いたら中3の受験期。<br /><br />ほとんどがこういう子たちだ。<br /><br />「うちの子はよい子です。本当に頑張って来たんですよ!」と涙ながらに親なら叫ぶ。<br />でも....遅い。<br /><br />受験は子供が勉強すればよいのではない。親子...家庭・家族全体の受験でもあるのだ。<br /><br />あまりにも興味をそそる選択肢があるのが今の世である。選択肢はあっても選択する条件の学力がない....或いは学歴がない。<br /><br />そのどうしようもないフラストレーションにいるのが今の中学生であり..高校生である。<br /><br />すべては「何が一番大事なのか?」がわからないまま時間が過ぎたことだ。<br /><br />それを命がけで指し示すのが親なのだ。<br /><br /><img src="https://searchnewtonlife-pctr.c.yimg.jp/uUzvQ3lML_bkIqyakc1vFmly9Z6Tp50y83l8vHBuyq-CS1RvIh9aJf14sFsiA2198-uNMrEBV0o02owFsDSQRkJBNcVZ35lnY_ByMTZZ_BZXdgaZ_5U4O5Pag-PzeHMQvn7_OzrtFWyVEUKDBa48z7hwzh2N1U5-3a6h_a9eeWU4Rwbofwq5P6SrlWd4lbRGZTyWiEttXJDZe8tAjq4TSLQQ-MBSiXOKIoOiXAzuyYQZJMEy1E6uk1HXU8LzEK6JgNy0Inxpxsg_GOc6qeNpCWGIVyQUz-fBE5zxw6QCHdQ2ALY-UhSMEGPpWWKj39Yi" alt="ピエタの画像" /><br /><br />ピエタ ミケランジェロ作<br /><br /><br />わが子イエスを抱く聖母マリヤ.....母の愛は神の愛に最も近い。 【お知らせ】 新学期は4月8日(城星)12日(十足)から始めます。 Fri, 05 Apr 2024 02:16:06 +0900 2377944 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/ 新学期は4月8日(城星)12日(十足)から始めます。 【カテゴリーなし】 大学受験英語 (フルリモート授業) Thu, 04 Apr 2024 08:19:30 +0900 2247836 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/menu/2247836 1対1の個別指導の大学受験レベルの英語力を学ぶ高校生英語クラスを新設します。フルリモート授業なので全国どこにいても授業を受けることができます。<br />授業時間・・・週1回 60分<br />学費・・・月額10,000円 【カテゴリーなし】 高校数学 (フルリモート授業) Thu, 04 Apr 2024 08:17:48 +0900 2290694 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/menu/2290694 <span>1対1の個別指導の</span>高校数学クラスを新設します。フルリモート授業なので全国どこにいても授業を受けることができます。<br />授業時間・・・週1回 60分<br />学費・・・月額10,000円 【日記】 なぜ海に行くのか Mon, 01 Apr 2024 19:58:46 +0900 2376966 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2376966 私が高校のころ流行った言葉があった。<br /><br />「そこに山があるからだ....」<br /><br />これは当然のようにカッコよく流行ったのだった。論理的に考えたなら...「あなたは何故山に登るのか?」という問いかけがあるに違いない。確か山岳事故で世界一死亡例が多い谷川岳の一の倉沢(いちのくらさわ)であまりにも連続する山岳遭難の実情に当時のmediaがinterviewの結果を集大成して...あたかも数学の最大公約数のように数多くの言葉によってクライマー(climber)の気持ちを一言に凝縮したものだった。見事な言葉の凝縮だった。<br /><br />私は海が好きだ。<br /><br />何故か?.....と訊かれて初めて、どうしてこんなにも自分は海に惹かれるのか?と考えるのである。<br /><br />海が好き..なんて当然じゃないか。当たり前のことを訊かれてもこまるよ...<br /><br />今も昔も私は海が好きだ。キザと言われても英語で言うなら..I do love the sea.だ。<br />好きなんだから仕方ない。<br /><br />話は急に歴史の彼方に飛んでいく。平安時代の終焉 同時に鎌倉時代の幕開けになる。<br /><br />遥か昔.....源氏と平家の最後の闘い...瀬戸内海の「壇ノ浦の合戦」で平家は敗れた。平家に仕えていた西川のご先祖は海路を辿って落ちのびた。漂着したのは紀伊半島の南部...さらに房総半島の外房だったそうである。<br /><br />ゆえに紀伊半島の熊野のあたりや串本、そして黒潮に乗って東へ流される地...外房の御宿~勝浦には西川姓が多いのはまた事実だ。半年か1年に1回ほど久里浜からフェリーで房州へ渡り外房を訪ねるとクルマで行き過ぎる景色にやたらと懐かしさがある。<br /><br />それは幼い頃に祖父や父と見た景色と今見る現実の景色が重なり、たまらない懐かしさを感じるから....それもある。さらには道行くトラックが「西川運輸」だったり、勝浦の港に行けば「西川水産」があるからだ。<br /><br />一度も会ったことはない。でもおそらく同じ先祖から出た同族なのだろうと思うだけで嬉しくてたまらない...相手が意識していないのに。それでもかまわない。自分も西川です。<br /><br />この一体感...というか安心感は何だろう。別に何の経済的利益もないのに...私はヘンだろうか?長い間一人で仕事をして来たから、人や周囲から何と思われようと構わないというそれこそへんな自信があるが。<br /><br />まあ..都会暮らしの人間が田舎の実家に帰った時のあの感覚に似ていると言えばご理解いただけるかと思う。<br /><br />祖父の生家に行くには勝浦から海沿いに北上すればいいのだが、あえて一番海沿いの断崖絶壁を通る旧道を通ると「おせんころがし」という言われのある地を通る。その付近には「西川造船」が長い間あった。私が小学生のころにはまだ営業中だったようだが、いまはもうない。ペンキのあとでかろうじて社名が読み取れるだけだ。<br /><br />強者(つわもの)どもが夢のあと...という芭蕉の句を想起するのみ。<br /><br />そのくらい西川の人間は海にかかわっていたのだ。<br /><br />祖父が御宿から上京して品川の丘の上の高輪に起こした会社の名は「品海社」(ひんかいしゃ)だった。祖父の胸の中には郷里の外房御宿の海があったのだろう。<br /><br />だからだろうか...祖父は日本橋の三越に買い物に行きたがる祖母や母とはshoppingに行かなかった。かわりに父と私が海に釣りに行くというと、よく(often)一緒に行ったものだ。なんとか釣りが一人でできる幼稚園の年長組から中学2年までの10年間は楽しくてたまらない祖父・父・私の3人の釣りの想い出でいっぱいにあふれている。それは東京湾・三浦半島の横須賀~城ヶ島。さらには遠征して祖父の喜ぶ外房の勝浦~御宿~九十九里浜~銚子の房総半島に及ぶ....とてつもなく広い海だった。<br /><br />駄々っ子のようだが、その流れで当然のように私は海に惹かれる。<br /><br />海で....それも半世紀前を思い出すような美しい透明な駿河湾の沖に出ると、私の心は遥か昔の童心に帰る。あたかも祖父や父が一緒にフネに乗っていて釣りを楽しんでいるかのように思う。<br /><br />自分にとって海は父であり祖父である。<br /><br />そう思える私は幸せだ。神とご先祖の努力に感謝。<br /><br /><img src="https://image.asoview-media.com/image/production/note/news/article/75debde6-dff6-4434-9ba5-d6350d8da35d.jpg" alt="" /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> 【日記】 特攻ってなんだ? Sat, 23 Mar 2024 17:31:15 +0900 2375748 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2375748 はじめに言っておきたい。私は決して断じて右翼ではない。生まれながらの日本人であり、誰よりも日本の平和と繁栄を願う一人だ。<br /><br />ただ....戦後生まれではあっても私の父や伯父たちは80年前に、あの大平洋戦争に深くかかわっていたことが事実となってその後の私の人生観と価値観....まあものの考え方のすべてに影響を受けることになった。<br /><br />大体において 今の世代は「特攻」だけでなく「戦争」という言葉にまったく関心がない。これは「絶対にイヤだ!」という強烈な忌避感をいだくより絶望的だ。忌避とか敵意は対象を認識して....すくなくとも自分がそうなったらという能動的な判断がある。一方で「無関心」自分には関係ないよ...ということが最悪の事態をやがて招く。<br /><br />驚くべきことに先の大戦に日本が敗れた結果、二度と日本が同じ道を歩まぬように日本に上陸した連合国の中心にして最大であったアメリカはGeneral Head Quarter(GHQ)によって強力な内政指導を行った。<br /><br />最大のものは2つ。<br /><br />農地改革と財閥解体である。これは中学校の歴史教科書にイヤと言うほど詳しく解説されているし高校入試にも必ず出題される。言わば旧態日本から新生日本への希望の象徴のように記載されている。<br /><br />同時にアメリカがGHQを通じて最大の目標としたことは何だったか?<br /><br />それは「個人の尊重」或いは「価値観の自由」と美しく....誰も否定できない言葉であるが、それは一方で「過去の否定」と「伝統・歴史の忘却」...つまりは愛国心を捨てることだったと言える。<br /><br />日本人の心に根ざした愛国心が明治以来の日本の富国強兵と殖産興業を急速に可能にした事実をアメリカは恐れた。その故に「大陸に進出し太平洋に勢力を伸ばそうとした」とアメリカは分析判断したのであった。<br /><br />それは事実だ。<br /><br />しかし、一方でアメリカを始め欧米の列強は.....そう日本の歴史では江戸時代の中期くらいから、アジア・アフリカに何をしたかを考えてみたい。<br /><br />軍事・経済で劣るアジアやアフリカの弱小国を占領或いは保護国として介入した。その目的は植民地と本国の関係であった。植民地化された現地の資源と安い労働力によって本国はますます富み栄える...という構図。<br /><br />私は大学で「歴史学科」の学生として...苦学の末の社会人学生で入学したのはこのあたりの歴史を大学の歴史学科ではどのように解釈して「講義」するのかを知りたいためであったのだ。歴史学科の教授に個人的に質問そして直接の指導を受けられたのは生涯の宝と考える。ここまで来るのに非力な私は20年近くかかった。日大母校の教授による私の疑問+質問への回答と指導には涙なくしては語ることのできない深いものだった。<br /><br />抽象論はここまでとしよう。<br /><br />具体的な特攻とは何か?<br /><br />それは通常の戦術・戦略では勝算を得ることがまったくない時に考えられる限界の作戦である。ゆえに特別攻撃隊。略して「特攻」と称せられる。<br /><br />特攻には具体的に3つあった。<br /><br />航空特攻・水上特攻・潜水特攻の3つだ。<br /><br />敢えて説明すると......航空特攻は飛行機に250~500㎏の爆弾を装着して沖縄へ離陸。<br /><br />陸軍航空隊では「一式戦 隼戦闘機」海軍航空隊なら「21型...52型零戦」が離陸して行った。これだけの重量を負って空戦などできるものか.....<br /><br />戦争は負ける。<br /><br />それがわかっていながら......でも連合軍・アメリカ軍との終戦交渉に少しでも有利に立ちたい。それが343航空隊の悲願。沖縄に散った若鷲の「こころ」を考える。<br /><br />繰り返すが。私は右翼でも極愛国主義者でもない。<br /><br />自分と自分の家族までの繁栄をあなたが望むなら........<br /><br />日本は終わる。<br /><br /><br /><br />特攻とは<br /><br />究極の選択である。<br /><br />自分を犠牲にしてもいい。<br /><br />如何に戦後の日本が「平和で豊かな国」になれるか....その究極の選択だったのではないか?<br /><br />映画や小説のような「カッコイイ」ものではない。伯父からは繰り返し教えられた。<br /><br />全てを忘れ、すべてのために....離陸して行く。<br /><br />それが特攻だった。<br /><br />自分の死が.....存在の意味が戦後の日本の平和と繁栄につながることを信じて。<br /><br />そこに愛国心も軍国主義も全体主義などあったろうか.......<br /><br />死にゆく兵には「父母...兄弟...故郷の友人」が元気でいてほしいと言う以外の何もない。<br /><br />自分の死によつて彼らを守れるなら....と願う自己犠牲の究極が特攻だった。<br /><br />今の日本は明治以来の戦争の犠牲の上にある。<br /><br />繫栄をほこるのもいい。<br /><br />でもその裏に.....どれだけの犠牲があったのか。<br /><br />それを忘れないで欲しい。<br /><br />重ねて言うが、特攻は洗脳された軍国主義によるのではない。<br />国を愛し...親兄弟....友人のすべてを守りたいという究極の選択だった。<br /><br /><img src="https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ca/USS_Essex_%28CV-9%29_is_hit_by_a_Kamikaze_off_the_Philippines_on_25_November_1944.jpg/200px-USS_Essex_%28CV-9%29_is_hit_by_a_Kamikaze_off_the_Philippines_on_25_November_1944.jpg" alt="" />フッリピン海上の米空母に特攻機命中。<br /><br />今の日本はその犠牲の上にある。<br /><br />誰が特攻を批判し意見できるのか.....繁栄と平和を享受しながらよくも過去を否定できるものだ。<br /><br />私は命ある限り伯父たちの墓参をしようと思う。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> 【日記】 それでも生きる Sat, 16 Mar 2024 10:24:39 +0900 2374216 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2374216 世の中は幸福感であふれている。<br /><br />でもそれは「幸福感」と言うimageであって本当の幸福ではない。最大多数が「幸福」と感じるような雰囲気を幸福と言っているに過ぎないことを....何かヘンだなと感じる人は鋭い。<br /><br />人生の何が幸福か....それは10人いれば10通りの幸福があり、誰もそれを批判できない。<br />大体「何が幸せか?」なんて自分が判断すること。第三者がどうこう言えるものではないだろう。これは個人の価値観を大事に考えるという近代啓蒙思想の最も「根っこ」の部分と思う。<br /><br />ところが今の日本の世はそうではない。<br /><br />いろいろあるが....「成功例」ばかり。「私はこうして合格した!」とか「....で簡単に~円も手に入った」なんて言う事例がSNSで飛び交う。<br /><br />何かに頼りたい。失敗の連続で限界まで落ち込んでいる。<br /><br />そんな人ほどネットの世界に救いを求めるのではないか?<br /><br />私はそれを間違いとかダメとは思わない。誰でもそうするだろうから。<br />目の前に信頼できる誰か....本当に損得抜きで自分を思ってくれる誰かを求めてもかなわない。その状況下ではだれでもPCネットの中に解決策を探すだろう。<br /><br />私の若い頃は、恩師を訪ねたものだ。或いは青春の書...たとえば「竜馬が行く」とかをむさぼるように読んだ。<br /><br />そこで得たもの。<br /><br />人間は失敗して....それも取り返しのつかない大失敗をして 初めて考える..と言うこと。<br /><br />人間は弱く...やがて自分はいなくなるという悲しい運命を等しく背負わされた旅人だ。<br /><br />大きな失敗により深い反省をする...それが新しい人生を歩く確かな力ともなる。<br /><br />この世にはやる真逆のことを言おう。<br /><br />大失敗しなければ大成功はない。 【日記】 何が愛情か Fri, 08 Mar 2024 22:52:29 +0900 2372779 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2372779 男女の恋愛とは別の話をしたい。<br /><br />「親子の愛」とは何だろう.....<br /><br />いまさら何を?と言われるかもしれない。当然なことを言うな..とも。<br /><br />それは父母から生まれたと言う生物学的な事実に根拠があるから、親からも...或いは子としても否定しがたい事実の上に成り立つ。<br /><br />大体において日本語の「愛」という言葉の持つ意味はあまりにとらえどころがないくらい広い。その広さのゆえに「深い」ということかもしれない。<br /><br />親子の...と言ってもその愛は、誤解を恐れず言うなら男女において本質的に違うと言う。<br /><br />まず母の愛である。<br /><br />母親は胎内にわが子を宿したその時から....だんだん大きくなるお腹の子にますます愛情を感じていく。その愛は他の何物にも代えがたいこれ以上がないくらい強い愛である。<br /><br />父親は(自分もそうだからわかるが...)少なくとも母の持つ子への愛とはまったく違う。<br />子どもが生まれるまで.....出産の準備...何がいるんだろう?とか物質的というか、子供が生まれたらどう環境を整えようか?という努力しかできない。まあ、この段階で懸命の努力をする父親は良きパパとなる。<br /><br />そして、生まれたわが子をその腕に抱いたときから...何もわからず育てていく段階を経て徐々に深くそして強くなって行くのが「父親の愛」である。<br /><br />私も2人の男の子を育てたが....正直のところ、失敗の連続だった。大事なのは「失敗したなぁ...」と思えることではないだろうか。<br /><br />まあイイ。<br /><br />子どもがめでたく育って中学校に入ったくらいからが.....勝負である。<br /><br />英語のように最重要....結論を先に!<br /><br />言うなら。<br /><br />troubleとか不穏な雰囲気になることを避けて(決して解決ではなく..)はいないか?<br />特に父親...あなただ。いなければ....お母さん...あなただ。<br /><br />子ども、わが子は何より大事だ。<br /><br />だから「子供と険悪になりたくない」と考えているのが普通だろう。でもその故に...その引き換えに一番大事な何かを後回しにしてないないだろうか。<br /><br />それは....子供のためを思い、やがて来る近い将来を思って....うるさがられながら、敢えて言う親の言葉である。<br /><br />正直言って、中学生以上になったわが子に「そうじゃないだろう」と言うのは今の時代勇気がいることだ。<br /><br />相手の将来を思い....自分が今どう思われようと信じることを言う。<br /><br />これこそが最上の愛と思う。<br /><br />瞬間....また瞬間に自分がよく思われようとして言う言葉など。<br /><br />何の摩擦もないだろうが、何の価値もない。<br /><br />自分がどうあっても良いから....相手の幸福を願うのが真の愛だ。<br /><br />それは.....ピエタの聖母マリアの愛。<br /><br /><img src="https://searchnewtonlife-pctr.c.yimg.jp/uUzvQ3lML_bkIqyakc1vFmly9Z6Tp50y83l8vHBuyq-CS1RvIh9aJf14sFsiA2198-uNMrEBV0o02owFsDSQRlBpcpEzzJ_tlrOZaWSqXJFXEBeue2gkHT5mT4TdAGb6zDmMgqSeSLhJ1cVsWwuhyybWD-eFE8xdNUD-m9OWe9L6COiiZXSmOUMlxNzpx6NGs2-ZYxWVB90IcIJU426NOR7nhtXMe_Kbxt9BH6NCy4dewlfVKNayo5sq3n66ZpXKd042TivOlI717E9PzacKVC0yTFk01ylqp2AxQ7vmW8SMCLzNPIRoSk1Nx207pAay" alt="ピエタの画像" /><br /><br /><br /> 【日記】 それでいいのですか Mon, 04 Mar 2024 20:27:21 +0900 2371985 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2371985 本当に「それでいいのですか?」と言いたい。<br /><br />人の家に入って来るときに玄関先で脱いだ靴を揃える、部屋に入るとき挨拶をする、目上の人や年長者に敬語を使う....<br /><br />当然ともいえるこれらの事ができない中高生があまりにも多い...この事実をどう考えるか?<br /><br />塾は学力向上だけを..ただそれだけを目標とすればイイんだ。私もそう思うし、またそのように徹して来たつもりだ。家庭や父兄の価値観に立ち入ってはならない。そう思いそう信じて生徒たちを教えて来た。<br /><br />一部を見て全体を判断するのは間違いであるし危険な判断だとは思う。しかし事実の持つ説得力は大きい。<br /><br />塾を始めてもう43年がたった。その長い時間の間に多くの生徒たち、またご父兄との接点があった。その長いspanで大学の教職課程では当然にして絶対に学べない貴重な体験があった。塾とは何か...という本質的な課題をそのたびに突きつけられる思いである。<br /><br />今の...特に中学生の現状はどうだろう?<br /><br />まず...好きなことしかしない<br /><br />部活が最優先。帰宅して最低限やることは「1p」だ。1Pとはご父兄になじみがないだろうと思う。これは「何でもイイから1ページ」を家庭学習として毎日やるように。という中学校の指導方針の一つである。<br /><br />とにかく「机に向かわせるきっかけ」が必要だ...という発案で始まった。<br />机に向かえば、その延長でさらなる勉強が期待できるのではないか...というアイデアだ。<br /><br />ところが今の中学生はこれを真逆に解釈して「1P」をやればあとは何もしなくていいんだとなるのである。<br /><br />中学校もこれ以上家庭に立ち入ることはできない(1Pでよし...としている家庭に何も言えない)のだから、自然に部活+1Pでもう最低限はクリアしたんだからOKと考えてしまう家庭がほとんどになる。<br /><br />土日が完全に休みの現在において、これでよいのか.....?<br /><br />部活+LINE+ゲーム...がすべて。<br /><br />本人も自分で自分をコントロールできない。いや...善悪ではなくそれが現状である。<br />親もわが子が好きでやっていることをやめろとまでは言えない。どうこう言って子供と悪い関係になりたくない....実はこれが最大の原因だ。<br /><br />結果は.....<br /><br />学力低下・成績低迷は当然のこととなる。<br /><br />人間はそんなに都合よく出来てはいない。同時に最大に大事に思う目標を追うことはできない。それをわが子に求めるのはムリと言うものだ。まして自分も仕事で懸命に働いている状態であれば、家庭内に新たな問題点を捜してまで「勉強しろ」とは言いにくい。<br /><br />すべてはココに起因する。<br /><br />細かいことはもういい....として<br /><br />わが子は可愛い。<br /><br />でも それでいいんだろうか ?<br />&nbsp;<br />いまのままで?<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> 【日記】 affair Mon, 26 Feb 2024 21:55:04 +0900 2370470 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2370470 「仮想敵国」の表現は言い過ぎかも知れない。勝手に海の上に国境を設定して領海侵犯で漁船を拿捕したり、国際条約である日韓基本条約で明治からの日本統治下から終戦までの一切の賠償は終わり韓半島に置いて来た日本の財産を譲渡し、これには個人に対する賠償も含んでいるのに永遠に日本に対して謝罪と賠償を要求し続けているのが韓国である。竹島についても古代からの文献にある鬱陵島を「独島」だとしている。国際条約を平気で無視、海上の国境線を勝手に変更する。国土を不法にも占領し守備隊まで置いている。プサンの漁民の住所を設定して住民登録まで行っている。これらの事実をメディアは積極的に報道しない。日本は韓国併合から昭和20年の終戦までの統治の記憶のゆえに正しい目で見ることが難しい。それこそ仮想敵国と言いそうになるくらいの要求を日本にし続けている。歴史上の事実認識の差にその原因がある。フィフィは妄言を言ってはいない。 【日記】 冬の夜空 Fri, 23 Feb 2024 23:39:47 +0900 2368241 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2368241 昔から夜空を見上げていたことを思い出す。何故かわからないが、美しく晴れ渡った冬の夜空ほど美しいものはないと。そう.....幼稚園に入る前のまだ幼児のころから感じていた。<br /><br />父の背中におぶさって私は真冬の夜空を見上げた。永遠に深く果てしなく広い...何かの神秘を思わせるほど美しかった。それは同時に恐ろしさ さえ感じるくらい人間の力を超えた「美しさ」として幼児の自分瞳に移ったことを思い出す。<br /><br />祖父は苦労人だった....外房の片田舎に生まれ育った。もちろん半農半漁でやっと生計を立てている実家に育って、明治の青年のうち心ある者はみな「青雲の志(こころざし)」をいだいたものだ。<br /><br />かつての文部省唱歌「ふるさと」の中に.....♫ 志を果たして いつの日にか帰らん ♫<br />とあるけれど。<br /><br />その祖父は何故か自然の美しさに強く惹かれる人間だった。<br /><br />ウチの母と祖母が「日本橋の三越に買い物に行きからから...」と言うと祖父は絶対に行かない。何もせずに自宅にいるか、父と私が行く「釣り」に同行するのだった。<br /><br />明治の御代に東京に出た祖父には故郷の千葉県外房の「御宿(おんじゅく)」の山河が.....故郷の自然が懐かしくてたまらなかったのではないか。<br /><br />もう半世紀も前の厳しい冷え込みの海を思いだす。<br /><br />あれは真冬の千葉県外房....勝浦港の防波堤の上で釣りをしていた時だった。<br /><br />冬に珍しく無風状態。<br /><br />勝浦の海には波ひとつなかった.....凍えるような寒さ。<br /><br />まるで鏡のような海面に.....なんと星座が映っているではないか!<br /><br />これを「美」....' Beauty'と呼ばず何と呼ぶのか。<br /><br />小4だった自分は あまりの純粋で...透明.....Clear...だった。<br /><br />その夜空こそ<br /><br />満天の夜空<br /><br />そのあとの何百人......或いは何千人に<br /><br />見た者の心に深い影響を与えた。<br /><br />それだけでよいのではないか。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> 【日記】 私立推薦も.... Sun, 18 Feb 2024 21:09:55 +0900 2368779 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2368779 毎年のように春になると繰り返されるのが高校・大学の受験だ。<br /><br />そのなかで、私立高校が行うのが「推薦による合格」である。私立高校は(実のところ私大もだが)少子化のなかでの学校経営が本当に大変な状態になってきている。どう頑張って学校に特色をだしたところで「少子化」そのものを改善できるはずもないのだから。<br /><br />その過酷ともいえる現実の中で私立高校が考え出した生徒集めの方法が「推薦入学枠の拡大」である。特に最近では「スポーツ推薦」が多いことに気が付く。<br /><br />中学校の運動部の最終仕上げとして毎年6月の下旬位から8月の上旬にかけて「中体連」の選抜試合が行われる。各地区の試合を勝ち抜くと最終的には県大会...さらには東海地方3県の東海大会...夢の全国大会となる。<br /><br />各大会でレギュラーで活躍した生徒に私立高校は目をつける....5教科の学業成績がまあまあ学年の中ぐらいだとすると特待生としてほぼ受験なしで合格とする。成績がよい場合にはなお特待Aとして「入学金・3年間の学費免除」にさえなる。<br /><br />親は嬉しい...当然だ。<br /><br />運動熱心な部活が大好きでたまらない生徒には魅力ある制度だ。学費が安くなったり免除にさえなるかもしれないのだから親にとっても有難い。高校側にしてみれば、各中学から部活の優秀な生徒が入学後の部活を頑張ってくれて試合で良い成績を残してくれたら学校の名誉だ。<br /><br />ただ気をつけたいのはまったくの無料とはならないこと....まず学校別の制服だが私立はカッコよく+可愛い..点を追及してデザインされているし、ワイシャツや靴下まで指定店以外での購入を認めない場合がほとんどだ。学校の指定通りに購入したら20万円近かったという話も聞く。他には体操着とか入学時までに揃えなくてはならない物品がバカにならない。修学旅行は私立の場合ハワイかカナダ...オーストラリアでその費用を積み立てて行くことになるが、特待Aでも免除ではない。<br /><br />あとひとつ気になるのが...入学後の指定部活をやめられないこと。これはその条件で入学を認められたのだから当然のことだ。イジメがあろうと槍が降ろうとやめてはならない。<br />大きなケガをしてその部活をやめなければならなくなったら免除した学費の支払いを請求されたとも聞いた。<br /><br />三島や沼津に自宅がある生徒は本当に運がよいと思う....伊東の場合どうなるか。<br /><br />部活の朝練に間に合うために毎朝4時に起きる。バスもないから親に駅までクルマで送ってもらわなければならない。帰りは帰りで、授業後に部活を終えてJR東海で熱海まで。熱海からまた伊東線に乗り換えて帰ってくる....また親に駅まで迎えに来てもらい帰宅。<br /><br />帰宅時間は早くて9時..10時である。<br /><br />遅い夕食。入浴。<br /><br />何時になるか....宿題+予習は大丈夫か?....3年後に大学進学するのか?<br /><br />5時間の睡眠時間があるだろうか。また明日は午前4時に起きないと....<br /><br />これが3年間繰り返される。<br /><br />伊東からの私立スポーツ推薦の特待生はこの現実を3年間乗り越える。体調不調もあるだろう....中間・期末の試験だってある。<br /><br />これを乗り越えて無事に卒業していく生徒を私は偉いと思う。生徒の部活と学びを支えたご父兄には深く感謝したい。<br /><br />私は伊東の地域に埋没するように私塾続けて来た....そこからつくづく思うことがある。<br /><br />高校進学は良い。本当に良かった....めでたい。<br /><br />では3年後にどうするのだろう?<br /><br />「大学進学か...就職か?」<br /><br />「それは本人次第ですよ....」で本当に良いのか?<br /><br />保護者として、親としてあまりにも無責任ではないか。責任放棄ではないのか?<br /><br />もうその時には遅い。<br /><br />高校の3年間を部活に打ち込んでも...それを根拠に採用してくれる会社はない。<br />学業成績も平均以上で試合成績が納得以上であるならスポーツ系の大学或いは学部に優先的に入学できるかも知れない。「かも...」だ。<br /><br />そこまで....である。<br /><br />今の日本では事実を言うとたたかれる。でも仕方ない。<br /><br />スポーツ・部活で人生を切り開くならそれでよい。でも不可条件として高校はしっかり出ること。遅刻や欠席は事実として記録に残る。<br /><br />進学できたなら、大学では専攻以外の一般教養科目も全部の単位を取る勉強をしてもらいたい。そういう生徒・学生しか今の世は評価しない。当然だが....<br /><br />私立高校の利潤のために中3の生徒がいるのではない。ある意味において妥協しつつも自分を大事に未来を冷静に見つめてほしい。<br /><br />私が心配なのは高校の3年間のあと....あなたはどうするのか?<br />特待で入学した3年後はどうなるのか...である。<br /><br />このあとは書きたくない。<br /><br /><img src="https://www.u-tokai.ac.jp/tachyon/2022/07/L_21A4927-1-scaled.jpg?resize=1020%2C440&amp;crop_strategy=smart" alt="" /><br /><br />親にはわからない......永遠の課題。<br /><br /><br /><br /> 【日記】 ホンコンと日本 Sat, 17 Feb 2024 23:23:53 +0900 2367614 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2367614 かつてのHong Kongと今の日本は似ている。<br /><br />ホンコンと言うけれど彼らの言葉なら香港のはずだ。ところが ' Hong Kong 'がまかり通ることを誰も考えない。<br /><br />ここで歴史は大事だと改めて考えてしまう。<br /><br />まだ今の大陸にある中国が「清」と呼ばれていた時代にイギリスとの間に戦争があった。<br />麻薬のアヘンを清に売りつけていたイギリスとの間に起った戦争だった。<br /><br />あのイギリスが?.....人の命や国の荒廃を考えず....そんなことをしていたのか?<br />そう。ヤクの密売ではなく公然とした貿易で荒稼ぎしていたのだ。<br /><br />信じられないが事実は事実だ。是非にもインターネットで調べて頂きたい。<br /><br />大英帝国は決してアジア・アフリカで慈善など行っていなかった。<br /><br />何が' Charity begins at home. 'だ。英国人は自分たちの家庭だけが ' home 'なのか。<br /><br />ことの発端はどうあれ....負けるはずのない戦争にイギリスは勝利。どの戦争でも戦後に戦勝国の側に圧倒的に有利な条約が結ばれるのは歴史の常識だ。<br /><br />その結果の南京条約で「香港はイギリスに割譲...18年後には対岸の九龍をあわせて99年間」イギリス領となった。<br /><br />ちなみに友人の数少ない中国人の友人によれば北京語(Chinese Mandarin)では「99」と言う数字は「永遠」という意味が有るそうだ。<br /><br />これが1842年。<br /><br />日本で考えたなら幕末の少し前の時間だったろうか.....1868年が明治元年だから。<br /><br />江戸幕府は...続く明治新政府も日本の立ち位置をどうしたらいいのかと死にもの狂いで考えたに違いない。<br /><br />南京条約以後のHong Kongはどうだったろうか?<br /><br />イギリス統治下に入ると、聞いたこともない異国の法律が行われて、外国軍であるイギリス軍が駐留する...でも住民は相変わることない大陸の中国人だ。<br /><br />インドも滅ぼし英国植民地にしていたイギリスはアジア・アフリカの植民地経営の手腕はフランスの上だ。その統治は現地の人間を官吏・公務員にすることから始まる。採用に当たっては統治のしやすさと管理のための意思伝達を容易ならしむるため、英語の能力を最優先で必要な基準とした。<br /><br />私はずいぶん昔、まだ日本がバブル華やかなりしころの時代を知っている。<br /><br />大学を出て入社したての若造がお台場の高級ホテルのディナーを彼女と2人分平気で予約していた....そんな時代だ。<br /><br />当時は私も持っている法律資格の全部をつぎ込んで....友人の不動産会社の「法律顧問」だったんだから驚くしかない。<br /><br />会社の福利厚生の慰安旅行で当時のHong Kongへ行った。返還前だったから英国植民地<br />' Britsh Crown Colony Hong Kong 'と言ったっけ。.....これはいまだに個人的にうまく翻訳できないが。<br /><br />そこでは私が不完全ながらも会社側の通訳(日本語&hArr;英語)の役割を、現地のMr.Jさん...Hong Kong Chineseでかつての日本留学生が(現地語の広東語&hArr;日本語)の通訳で弥次喜多道中のような失敗と笑いの1週間を過ごしたのであった。<br /><br />7日間を大陸のHong Kong...ホンコンで過ごすうちに、同年代だったからかも知れないがMr.Jと私は不思議な連帯感というか....運命共同体のような感覚を共有するようになってお互い驚いた。<br /><br />それは「Hong Kongと日本は似ている」という歴史上...不思議にも一致する点についてであったろう。<br /><br />Hong Kongはアヘン戦争の結果、結ばれた南京条約で150年間のイギリス統治による植民地となった。歴史上...勝者の言語が最優先となり、敗者の言語と歴史は踏みにじられ忘れられていく。そのかわり条約にしたがって宗主国のイギリスの軍隊が駐留して、その軍事力によりしばらくの平和と自由が保たれていた。<br /><br />Borrowed time....borrowed space.(借り物の時間と空間)とは当時のHong Kong Chineseの言葉である。<br /><br />日本ではどうだったか........<br /><br />あの大平洋戦争に敗戦したあと、上陸進駐して来た連合軍(主としてアメリカ軍)実際にはGHQ(連合軍総司令部)の意のままに新たな国造りが行われた。新憲法ですら英文で書かれたものの翻訳だ....<br /><br />戦勝国の軍隊が戦後も駐留して平和(?)が維持される。戦勝国の思想や文化がどっと流れ込んできてそれまでの自国の文化・歴史はないに等しいくらい圧縮され...否定すらされて来た。<br /><br />Hong Kongは中国とイギリスのmixed cultureでexoticな独特な美しい文化と風光明媚な魅力を生み出したが、日本はどうだろう.....<br /><br />他国の軍事力と経済力に取り込まれるくらい恐ろしいことはない。<br /><br />条約が切れて無効になった時、自国だけの軍事力・経済力ではとても今のような安泰な生活は望めない。いや...歴史上 永遠に有効だった条約など存在しない。<br /><br />Borrowed time&nbsp; borrowed space であることは日本もかつてのHong Kongも同じ。<br /><br />自分の国家...或いは自分が信じる国の形がはっきりしないとどうなるか?<br /><br />マフィアではないが「信じられるのは血のつながり」だけに。<br /><br />かつてのHong Kongでは貿易が盛んだった。世界中の貿易の中継点として中継貿易によって英国の法律が行われる自由貿易港として栄えていた。親兄弟+親戚の血のつながりを重視して一族での繁栄が人生の目標だった。<br /><br />経済において潤うこと。<br /><br />それ自体は悪いことではない。ただ、そこに一切の哲学も思想もなくなる状態がコワい。<br />魂の平安ではなく、肉体この世にある者の快楽と快感の充足が目的になりはしないか...<br /><br />当時のHong Kongには悲しいまでの人間の不安とあきらめを感じた。南京条約の果てにやがて共産中国に戻ることの不安だった。<br /><br />今の日本も彼らと同じような不安を皆が心から払拭しきれずに日々を過ごしているのではあるまいか.....<br /><br />歴史上の真実を知ることを恐れて..あえて歴史を学ばないのではないかとさえ思えてならない。<br /><br />今の日本の平和と安定さらに繁栄は、決して今を生きる日本人の努力のみではなかったことを知る必要があると私は思う。<br /><br />江戸時代末期からの欧米のアジア侵略と日清・日露戦争...太平洋戦争の歴史の結果おこった新たな国際情勢の間に生じた「借り物の平和の時代」を今の日本人は生きている。<br /><br />この意味においてかつてのHong Kongと今の日本は同じ時空を生きている。<br /><br />人間が繁栄を享受し自国のみ平和に生きる時、歴史はその国民に覚醒を与えるために大いなる自然災害や予期もしなかった大戦争を用意するという。<br /><br />ヘーゲルはその歴史は意思をもつ世界意思がつくると言った。<br /><br />自分と家族だけ...の幸福を考える。権利を追及し義務は免れる。<br />これは罪なのか........それでよい。それ以外は考えなくてよいと日本国憲法は言う。<br /><br />では国とはなにか?<br /><br />私には永遠の課題だ。<br /><br /><br /><img src="https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0e/Hong_Kong_Island_Skyline_2009.jpg/300px-Hong_Kong_Island_Skyline_2009.jpg" alt="" /><br /><br /><br /> 【日記】 Okinawa... Thu, 08 Feb 2024 22:26:40 +0900 2364890 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2364890 英語の沖縄を言うaccentは....3番目の母音にある。だから「オキナワ」は「沖縄」ではない。英語のOkinawaの3番目の'a'を強く読む' オキナワ'になってしまう。<br /><br />本土に住む私たちには「沖縄」と言うなら「亜熱帯」「サンゴ礁の美しい」「首都は那覇」....昔の戦争でいろいろあったらしい。「ひめゆりの塔」...って何だっけ?くらいだろうか。あとは知らない。<br /><br />知ろうと言う積極的な意識はないなぁ....あまり関係ないし。<br /><br />本当に申し訳ない。<br /><br />でも....本土に住む人間は何をどうごまかしたところで、そのくらいの理解しかない。<br /><br />これを言う私も日本本土に生まれ育った人間だ。<br /><br />沖縄の言葉で言うなら私は「ナイチャー」と呼ばれる。年配の沖縄の人は「ヤマトンチュー」と言う。<br /><br />大戦中に戦艦大和(やまと)があったけれど....<br /><br />息子に怒られるだろうが、わが家ではその折に...様々な経緯と条件が重なった結果、信じられない条件が重なって長男は沖縄の大学に進学することとなった。<br /><br />沖縄..オキナワ..琉球...大戦の末期の昭和20年に旧海軍の航空隊だった伯父が九州の最南端にある「鹿屋航空隊」から離陸する航空特攻の目標だったところだ。<br /><br />こんなことはもう誰も考えないだろうが、1972(昭和で言うと47)年まで沖縄はアメリカ領だった。日本に返還されるまでの1945~1972年の間の27年間は沖縄は琉球でも日本でもなくアメリカ本土なみの扱いを受けていた「アメリカ領 OKINAWA」だったのだ。<br /><br />クルマは右側通行....使用貨幣はdollar(ドル)だ。当時の沖縄に行くには..passport(パスポート)が必要だった。<br /><br />これは..日本~アメリカ...の往復ということと考えるとようやく理解できる。<br /><br />息子が沖縄の大学に進学したのは、もう「そのあと」の遥か先だった。<br /><br />.............<br /><br />でも。<br /><br />伊豆からの沖縄だと往復は飛行機しかない。九州の鹿児島までクルマ....沖縄までフェリーというルートも考えらえなくもないが「時間・手間」を考えたらまずムリだ。<br /><br />わが子の下宿の選定にしても東京や横浜ではなかった...まあ、半分は外国と考えたほうが良いだろう。<br /><br />住居・下宿に関してはまだ3月だったから冬の暖房を考えた....が不要だった。<br /><br />沖縄では「コタツ」とか「ファンヒーター」の暖房は考えない。<br /><br />寒さに関しては本土(内地)から行く人間の心配はまったく必要ない。沖縄は亜熱帯なんだから....Christmasに根性のあるセミがまだ鳴いてる...これが現実。<br /><br />北海道では「梅と桜」が同時に咲く。5月の連休明けまで「いつ雪が降るか?」<br />灯油容器は「青」。本州以南は「赤」のはず。<br /><br />同じく....<br /><br />内地(日本本土)で当たり前のことのすべてがOKINAWA+HOKKAIDOでは通用しないことだらけだ。それがexotic(エキゾチック)な魅力を生むのかも知れないが、その日本本土の人間が興味をいだく「差異」...こそはその地に生きる人々にとっては....ごく日常のroutineであろうと考えるのである。<br /><br />沖縄は日本と言うには....あまりに異国(外国)的である。<br />でも異国(外国)的....と言うにはあまりに日本的だ。<br /><br />ここでは政治・戦略的・外交的な意見や思いは排除しても考えなければならないのだろうと私は考える。<br /><br />その延長線上にあるのが....いまの沖縄なのだ。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> 【日記】 Over tourism Sat, 03 Feb 2024 19:35:27 +0900 2366165 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2366165 コロナが一段落したことにして、政府は外国人観光客を呼び込むことで国内の第3次産業の観光業界を通じて利益を呼び込もうとしている。まあ、そう考えるのはあながち間違いではない。日本は天然資源が乏しく外国に売れるものと言ったら、古くは「原材料を輸入して製品をつくり輸出する....加工貿易」だった。いまでは「知的財産権」ともう一つは日本ならではの「美しい自然」と「伝統的歴史を体感できる場」であろう。<br /><br />ひとつ「水」をとっても水道の蛇口から出る水をそのまま飲める国は日本のほかに数えるほどしかないことをご存じだろうか。多くの国では飲料水の水源が汚染されて....そのまま飲んだら腹痛を起こすか下痢症状になる場合が多い。それは有機的に汚染されてて消毒が不完全か、あるいは工場排水が水源の川や湖に入り込み人間の飲料水に適さないのかのどちらかだ。<br /><br />私はホンコンで「プランクトンの泳ぐ水道水」を見た。ソウルでは食器の洗浄や入浴のシャワーに水道を使うが「飲み水はコンビニでタンクで買う」日常を体験した。<br /><br />よく、日本人は「水と安全はタダ」と思っていると外国人は言うがその通り。日本にいて毎日を過ごしている日本人にはわからない。<br /><br />英語圏のHawaiiやAmerica本土に行けばrestaurantのmenuに「水:water」とある。<br /><br />まあ日本も最近ではAmericanizeが進んでファミレスはかなり様子が違ってきたが、それでも冷たくて美味しい水は無料である。<br /><br />日本で当たり前のことが外国から見ると驚きの連続なのだ。<br /><br />それはまず「治安のよさ」「道路・公共の場が清潔」「住民が基本的に礼儀正しく親切」<br />という点である。<br /><br />信じられないが、中国・韓国・アメリカ・ヨーロッパの各国は「自己主張」と「自分の利益追求」の社会構造である。もちろんそこには程度の差があり国内の治安を担当する警察力の差もあるけれども絶対に日本のような状況にはなっていない。<br /><br />インバウンドの外国人観光客は、それが本当なのかを確かめたくて来日しているとも言える。一度日本旅行をした知人・友人の話を確認したい外国人も多いと聞く。<br /><br />この結果、観光業が潤うのは結構だが「地元の受け入れ能力を超えた」インバウンドはいかがなものか?地元の住民が日常生活を送れない....政府・国はこの状況をどう受け止めているのか。外国人観光客で通勤通学のバス・電車があふれてしまって乗車できない。<br /><br />買い物や通院のために公共交通機関である「市バス」にも乗れずやむなくタクシーを使う実情はどう解決するのか?<br /><br />一番これが具体化しているのは「京都」と「湘南鎌倉」だ。<br /><br />もう一つ言いたくはないが....特に中国人のインバウンド外国人はひどい。大声で時間に関係なく騒ぐ。コンビニ弁当のゴミは路上に平気で捨てる。あろうことか植え込みや公園の物陰で大小便を平気でする...いや事実なんだから仕方がない。<br /><br />こんなところでも80年前の過去の歴史を持ち出して彼らをかばう人間がいるからビックリする。教養と常識のある外国人は決して日本人住民の迷惑になるような行為はしない。<br /><br />インバウンドで経済的に一時潤っても、失うものがあまりにも多いのではないか。<br /><br />日本政府は何を考えているのだろう.....<br /><br />私はここでかつて行ったことのあるHawaiiを考えてしまう。Hawaiiには美しい自然がある。それこそ全世界から観光客が毎日押し寄せる。<br /><br /><img src="http://toyokeizai.net/mwimgs/4/c/1200/img_4ca817b389d23a18008f7973050671fb81876.jpg" alt="" width="410" height="272" /><br /><br />美しい自然を維持しながらも、一方で観光のもたらす利潤をうまく得ていく。Hawaiiにはそのノウハウというか手法がよくよく研究されて、かつ有効に実行されているように思う。<br /><br />Honoluluの町自体がもう公園そのものである。Waikikiやアラモアナの外国人が好んで訪れるところと、地域住民(ロコ)の住宅地とは摩擦なく住みわけができているように思える。<br /><br />日本にインバウンドの歴史がまだ間もないとは言え、そこまでの研究がなされているのか?試験的にでも京都や鎌倉で実行してみたのか....その情報はいまだにないように思う。<br /><br />迷惑をこうむる地域住民は永遠には生きない。1年1か月1週間1日には...かけがえのない時間的価値があるはずだ。<br /><br />そのガマンと犠牲の上に成り立つインバウンド....私には罪深いものに思えてならない。<br /><br /><br /><img src="https://www.sbbit.jp/article/image/123384/bit202310231552089429.jpg" alt="photo" width="368" height="333" /><br /><br /><img src="http://toyokeizai.net/mwimgs/4/c/1200/img_4ca817b389d23a18008f7973050671fb81876.jpg" alt="" width="8" height="5" /><br /><img src="http://toyokeizai.net/mwimgs/4/c/1200/img_4ca817b389d23a18008f7973050671fb81876.jpg" alt="" width="8" height="5" /> 【日記】 アジ釣りから学ぶもの Mon, 29 Jan 2024 13:49:22 +0900 2364763 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2364763 しばらく海況がよろしくなかった。加えるに私立高校受験の塾生の学力が思わしくなかったので塾の指導にのめり込むように埋没して釣りどころではなかった...というのが本当のところかもしれない。まあ、それらが一段落ついたので今日は久しぶりに海に出た。<br /><br />近頃は自分のフネで沖へ出て気ままに釣る...以前のパターンから、アジ釣りで私淑するM師匠のフネに乗組員として乗船することが多い。自分のフネではすべての責任が自分にあるが、その一方で良くも悪しくも「自分中心」の釣りに終始することになる。<br /><br />人間どの道でも自分より優れた技量とそれ裏打ちする人格の持ち主を「師」と仰いで学ぶことが必要だ。自分が中心になると「謙虚」であることを忘れる。自分がすべて...自分だけが正しい...やがては自分が「師」であり「神」になる。そのまま歳をとったらどうなるのか。いとも恐ろしい。<br /><br />「人は己(おのれ)を写す鏡が必要だ..」とは吉田松陰の言葉。<br /><br />釣りは自然のなかに自分が入り込むことを求める。<br /><br />入り込む...とはそれこそ「自然に対して自然に溶け込む」ことではないだろうか。<br /><br />アジ釣りは勿論のこと海の釣りだが、特に今のような冬の厳冬期の海でアジを釣ろうとするなら様々な条件をクリアしなければダメだ。<br /><br />自然条件で言うなら....まず潮通しが良く外洋からの潮流が入ること。水質が良く真冬でも16℃以上の海域であること。アジの好むエサとなるプランクトン・各種の魚類の幼生幼魚が豊富。外敵のFish-eaterであるブリやカンパチが襲ってきたときに逃げ込める海底の「根」や「漁礁」があることだろうか。<br /><br />そうなると、あの広い海.....沼津から見る駿河湾も際限なく広く見えるが...アジの好む条件を満たす海域は限定される。消去法で行けば本当にピンポイントになる。真冬の海にはそこにしかアジはいない。<br /><br />探り当てたポイントは狂喜するくらい嬉しい。それはBoat-Fishermanには宝物のようなポイント情報である。そこは5mの誤差で釣果は半減し10m違ったら全く釣れない..そのくらいの範囲をpin-pointと言う。<br /><br />われわれのような釣り人を「アジ師」と言うらしい。<br /><br />アジ師はスーパーの鮮魚コーナーで売っているようなアジは考えていない。あれはどんなに活きがイイアジでも...背中も尾びれも黒い「クロアジ(マアジ)」だ。漁船が網で獲るアジで外洋の表層近くを回遊するアジ。<br /><br />アジ師が追うのは海底の根(岩や障害物..沈船も)にいる「居着きのアジ」なのだ。そのアジは回遊せず条件の良い「根」にいて小エビやプランクトン、果ては他の魚種の幼魚・幼生をエサにして成長する。エサに含まれる酵素の作用でそのアジは黒さを失っていく。<br /><br />やがて黄色から輝く金色にその魚体を変える.....<br /><br />これを伊豆では「キアジ」と呼び、房州の館山では「キンアジ」と呼んでブリやマダイなみに珍重する。<br /><br />その刺身は...ほんのりとした上品な甘みがある...脂の乗ったこの上ない味である。<br /><br />そのキアジのためにアジ師は全力を尽くす。昨年...一昨年の釣果記録を呼び出してその時の情報をもとに今日のアジ釣りを考える。<br /><br />海は人を試す。<br /><br />昨夜の月は満月....だから今日は「大潮」のはず。大潮では満潮~干潮の海面の差が最大になり沿岸潮流は最高に早くなる。時は谷川のような潮の流れになるから、釣り人の仕掛けは海中を斜めに「グワーン」と流されてしまい(例えば水深30mのはずが50mのラインがリールから出ている)とても釣りどころではなくなる。<br /><br />.....という前知識からは今日は貧漁。まあ数匹のアジが釣れておしまいだろうと予測していた。それが自然の理(ことわり)だ。<br /><br />ところがである。 豈図らんや....<br /><br />大潮のはずが「沿岸潮流」は穏やかだった。しかも冬には珍しい「凪(なぎ)」の海になった.....なんかヘンだ。<br /><br />結果は嬉しい予想違い.....でキアジの入れ食い。<br /><br />数えなかったが 良型のキアジが70匹以上の釣果。腕が痛い。<br />神さまは意地悪だ....<br /><br /><br /><img src="https://umito.maruha-nichiro.co.jp/wpumito/wp-content/uploads/2020/06/78img05.jpg" alt="" width="391" height="249" /><br /><br /><br /><img src="https://s.yimg.jp/images/csr/gyoppy/img/archive/featured/171/image1.jpg" alt="アジ" width="392" height="261" /><br /><br /><br /><br /><br />魚体全身の色。尾びれが「黄色い」?か。写真下がキアジ。成育環境が良いとさらに体高がましてヘラブナのようなキアジになる。ちなみに駿河湾には50㎝を超える信じられない巨大なアジがいる。釣り師「メガアジ」と呼ぶ。この巨アジはさすがにサビキ仕掛けには来ない。コマセカゴに天秤の2m長ハリスで付けエサはオキアミの仕掛けにhitする。私は過去に3回釣り上げたが...味はイマイチだった。脂がのりすぎだったから。これは個人の好みの問題になるだろう。<br /><br /> 【日記】 潜水艦....Submarine Sat, 20 Jan 2024 14:21:01 +0900 2351051 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2351051 英語の' submarine'(サブマリーン)とは潜水艦のこと。かつての同盟国ドイツのU-Boat(Uボート)はドイツ語で' U-Boot '....Unter see boot(ウンターゼーボート)と言い英語なら' Under sea boat'(水面下のフネ)の意味になる。<br /><br />かつての同盟国ドイツのU-Boatに対して日本が全力で開発した潜水艦はイ号・ロ号・ハ号と呼ばれた。その中で大型航洋の潜水艦がイ号だった。<br /><br />私の祖母の血縁が旧海軍の第6艦隊イ号潜水艦の通信士官だった。仮にS少尉としよう。<br />S少尉搭乗のイ号潜水艦が母港の横須賀に帰港すると、数日間の上陸を許されるのだが<br />茨城県の実家に帰るまでには時間がギリギリになるので帰省はできなかったそうだ。<br /><br />祖父は東京港区の高輪に居を構えていたので、S少尉の伯母にあたる私の祖母がいた。<br />少尉は横須賀に入港するたびに高輪の西川宅へ祖母に会い、祖父に挨拶して一日二日の短い時間を宿泊静養しては横須賀に帰って行った。<br /><br />S少尉が祖母のところへ帰るたびに...そこは高輪警察のとなりだが....海軍式の敬礼をして「YS少尉 ただいま帰省いたしました!」と元気な声。祖父母はそれを聞いて本当に嬉しく迎えたそうである。路上道行く人もお辞儀をして敬意を示していた。<br /><br />乗艦していたイ号第15潜水艦はガダルカナル島をめぐる日米の激戦の中、米駆逐艦の攻撃を受けて推定沈没。.....およそ80年間を南太平洋に沈んだままだ。<br /><br />私は知りうる限りを尽くしてS少尉の生家を捜した。茨城県の筑波山が良く見えるその家はかろうじて現存していた。いつの時代のものか不明だが「英霊の家」という小さな札がかかげてあった。これは大戦中の「戦死者を出した家である」という意味である。<br /><br /><img src="https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0303/users/2dfcfa9dd69dadf9d6020cbb2f379a70b2798c9e/i-img1200x802-1647399966pdwvll174933.jpg" alt="希少ストック品★靖国英霊の家 プレート★未使用級★日本/戦後/帝国/軍★送料無料_1" width="269" height="183" />私が見たものはボロボロに朽ちていた<br /><br />私が大きな影響を受けた西川の3番目の伯父はこの祖母の実家のS少尉にあこがれて海軍に入り航空隊をめざしたと聞いている。<br /><br /><img src="https://www.jiji.com/news/handmade/topic/d4_mili/ins310-i402000230.jpg" alt="伊号第402潜水艦(伊402潜) 攻撃機を搭載した「水中空母」伊号400型の3番艦。全長122メートル、水上排水量35…" width="414" height="264" /><br /><br />とは言え....人の一生には限りがある。その限りある人生の「時間とエネルギー」を何にかけるのか?という問題に直面する。しかもその決断は....若き日の一瞬にゆだねられているのだ。<br /><br />昭和・平成・令和....と時代は流れて行く。<br /><br />各自がその一瞬に「全力を尽くす」以外には............何もない。それでよい。<br /><br />日本は「過去の犠牲・失った領土・失った歴史...」を忘れない限り、今後も発展仕して行くだろう。<br /><br />私は日本の未来の繁栄・平和を祈りつつ太平洋や大陸で死んでいった....80年前の民間人・軍人・軍属の諸霊に敬意をはらいたい。<br /><br />みなさんの犠牲の上に今の日本の繁栄があるのです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> 【日記】 インバウンド外国人 Sat, 20 Jan 2024 13:46:00 +0900 2363042 https://samuel-nishikawa-prepschool.on.omisenomikata.jp/diary/2363042 コロナが一段落(?)してインバウンドの外国人で各地の観光地がにぎわっている。しかし、日本人のわれわれが好んで行く国内の観光地ではなく、世界遺産に認定された地域や歴史的な何かがあるところのようだ。少なくとも東京DSLや大阪USJではない。<br /><br />昨年の11月末から12月にかけて40年来の旧友・恩人を訪ねて京都に滞在したが、名のある神社仏閣は外国人観光客で埋めつくされていた。特に東山の清水寺は参詣の石畳の道を上がるのに「人間の渋滞」で身動きが取れなかったのには驚いた....自分以外はすべて外国人ではないかとさえ思えるくらいのinternational jam(国際的渋滞)だった。<br /><br />聞こえてくる英語...インドやオーストラリアの特徴あるアクセントの英語もありアメリカンや...TやPがキンキン響くイギリス英語も...頭がクラクラしそうだ。フランス語・ロシア語・ドイツ語...はそれぞれの語だな、と判別できるだけ意味はまったく不明。言葉が通じないとはこのことか...<br /><br />そして彼らの多くは「和服・着物」を着ているんだからさらに驚く。さぞ..身動きが不自由だろうに。どうやらレンタル着物の業者がいるらしい。3時間~1日で着付けから草履・扇子など付属品までを貸し出すそうである。ちなみにカジュアルな洋装の普段着で参詣しているのは私も含んで日本人ばかりだった....なにかヘンだぞと思う我々の表情を見て和装の西洋人(?)は嬉しそうだ。<br /><br />インバウンドで潤うのは観光業に代表される第3次産業であるが、データをみてうなずいたことがある。それは彼らの来日にかける意気込みだ....日本に1週間を家族で滞在なんて言うのは普通だ。10日~長くは2週間14日間を一か所で或いは移動しながら宿泊する。<br /><br />何と言うか...彼らの来日・滞在はとても単なる観光ではない。それは前もって計画し準備した旅行。凄い人になると地元の大学で「日本講座」を1年くらい学んできた人もいる。<br /><br />要するに「時間をかけ・勉強して・滞在費を準備して...」来た上での来日なのだ。意気込みが違うと私は個人的に感心する。<br /><br />わが身として考えた時にだが、果たして日本人の我々が国内・海外は別として...旅に出る時の準備をここまでするだろうか?自分や家族の旅行の意味を考えて、前もっての準備はさることながら、旅行先についてその「地理・歴史」や「....その重要性が何故なのか?」までを考えるだろうか。<br /><br />彼らは「考える」。<br /><br />彼らの全部がそうでないとしても....そう思って来日する外国人は多い。<br /><br />私たちのように、前日ギリギリまで仕事をしていて夜に現地のホテル着。<br />ご馳走を食べて飲んで....翌日に有名スポットだけ訪れて...その事実だけ残す。<br />これが普通で一泊二日。余裕があっても二泊三日だろうか。<br /><br />根本的にインバウンド外国人の彼等とは「旅」についての思い...或いは根本的な価値観がわれわれ日本人とは違う。<br /><br />閉話休題であるが.....<br /><br />私たちは気づいていない。他国外国からそこまでして時間と費用をかけて来ても..なお余りあるくらいの何かが日本にはある。<br /><br />他にはない...。<br /><br />世界のどこを探しても見つからない「何か」があるという事実を。<br /><br />それは形にもならず、言葉でも表せない....何かだ。<br />何か「価値ある」もの。<br /><br />彼らの言葉でいうなら....." It' s something valueable."<br />現金でいくらなのかわからない。他の何にも替えることができない「何か」<br /><br />「おもてなし」「他者を思う気持ち」「自分を後にしても相手を優先する...謙虚さ」<br /><br />その価値と重み....さらには貴重さに気づくからこそ外国人は日本に来るのだろう。<br /><br />逆にそれが理解できないままインバウンド外国人の落とす「経済」にだけ目が行く日本人の如何に多いことか。彼らはそういう日本人を嫌悪する。<br /><br />その事実には反論できずそれ以上を言えないなら....<br /><br />彼らにそう言われるたびに私は悲しい。<br /><br />オレは違うよ!<br /><br /><img src="https://kyotreat.jp/wp-content/uploads/2022/05/06R.jpg" alt="" width="485" height="325" /><br /><br /><br /><br /><br />