進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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Power of Language...
2018.10.12
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大学でも英語専攻。語学系の選択科目でも英語関係ばかりをあえて選んだ。ドイツ語やフランス語など他の西欧言語は必要な場合だけつまみ食いのように学んだだけだった。
英語史という専門科目がある。文字通り「英語の歴史」を学んで行く科目なのだが、そのなかで当時の自分としてはshockingな事項を勉強したことを思い出す。
それはヨーロッパ言語のなかでその昔の英語など「片田舎の離れ島」で話されている地方語に過ぎなかった...という事実だった。今のように全世界に流通している輝ける「言語」となるのは、イギリスがスペインのアルマダ艦隊との海戦に勝利して七つの海に「通商」とそれを支える海軍力で展開して行ってからの話だった。
純粋な英語の美しさはそんな歴史的な事実や戦争の勝敗などで変るものではないけれど、全世界的な流通とか誰しもが認める公認の「言語」となって行ったのはやはり「英国の権威」を世界が知ることとなってからだ。
英国が「七つの海にはためくユニオンジャック」であった時代は悲しくも第2次大戦後急速にfade outして過去の栄光になった。
英国の次に登場してきたのがアメリカである。
アメリカは第2次大戦...(いや日本にとっては「太平洋戦争」だった...)の戦勝国にとどまらなかった。
1945~1952年..そう昭和27年まで足かけ7年間の長きに及び日本を占領していた進駐軍(占領軍)であった。
この占領は軍事だけではなかった。政治もアメリカ寄りのアメリカと一心同体の政治だったが...これは仕方ない...ソ連に占領されるよりはいいという当時の政治判断もあったと聞く。
文化も洪水のようにアメリカそのものがドンドン流れ込んで来た。敗戦国の日本に拒否することも取捨選択する余裕などなかったというのが実情であったろう。
それは「何の洪水」だったか?
American Englishのfloodだった。否定も批判もできない。73年前の歴史的事実を個人の好みや意思で覆せない。
ここにおいて格調高いイギリス英語に代わって「実用的にして発音の違うAmerican English」が日本に怒涛のように流れ込んできたのだった。
今はその結果の最先端にあるわけだ。
....好むと好まざるにかかわらず、日本はアメリカ(あえてカタカナで)英語の強い影響下にある。私たちが中学・高校で指導された英語はAmericanなのである。だから、最近のALTがイギリス人だったり旧英国連邦 Common Wealthのニュージーランドやオーストラリア出身だったりすると...「何か発音が違う?」と言って生徒が不審がる。
can castle schedule home....すぐに思いつくだけでもこれらは全く違う発音だ。
英語は文字通り「英国」の「言葉」だが、アメリカが本国のイギリスから独立してから200年間に言語的に変化した。その変化の結果である英語がAmerican Englishと呼ばれているのである。
言語学的にはアメリカ人の英語はさらに地域的に異なり3つのグループに分類される。
EA(Eastern American)...東部のアメリカ英語でかなりイギリス英語の標準に近い。
GA(General American)...アメリカ中西部の英語でR音の発音が特徴。最多。
SA(Southern American)..南部のフロリダや映画Gone with the windの世界の英語。
アメリカ人は相手の話す英語の微妙なアクセントの違いや用語の使い方から相手の出身地を推測する。
閉話休題としよう。
言語には能力がある....Every language has its own power.と言う事実を習ったのは前述の大学でのM教授の講義で知った事実だった。戦後のAmerican Englishだけが唯一の目標であり指針だった自分には衝撃であった。
英語の初期段階ではヨーロッパの学術書のほとんどすべてがラテン語で書かれていた。いまだにその当時の文書解読にはラテン語の学習が必要だ。
何かを述べるのに「的確に・詳細に」書き伝えたいとすると....その時にある最も能力の高い言語で書くことになる。
それが2000年前には英語ではなく「ラテン語」だった。
今の世(日本)ではおそらく「言語の力の差」なんて考える人は少ないのではないか。
私は天邪鬼(あまのじゃく)だから...ここでヘンな心配をする。
このままで行くと...美しい日本が弱まって行き、100年後くらいにはAmerican Englishを話すNew Japaneseがこの地に住んではいないだろうか?
私が教える生徒の中にも、日本語で言うより英語で反応する..非国民..いや失礼「非日本人的な日本人」が本当に増えてきた。
嗚呼....
守れ日本(当時は「自由」)の陣営!
まるで昔のヴェトナム派兵の時の韓国のmedia各社のtitleみたいだなぁ...
Marinaの規約の限界まで行ってみた。ここは大瀬崎湾内。鳥居でお分かりのように大瀬神社の聖域...sanctuaryである。NSSマリーナの進出限界はここまで。大瀬崎から西・南は海が変わる....そこから先は「外洋」なのだ。