進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
-
趣味を持たないと...
2018.08.12
-
English-Speaking countries(英語圏)では飲み会・酒の席で仕事や金の話をする人間を軽蔑する。自然と周りから人が遠ざかる。
心を開放し、仕事や家庭から完全に離れて「個人対個人」の心の琴線に触れるような会話をするのが彼らの言う' A good drinking 'なのだ。
これと同じく彼らには大昔から日本とは全く違う価値観があり、それはいまだに生活....いや仕事を超えて根強く有効に作用している。
それは「仕事」で終わるなかれ....ということだ。
具体的には「金儲け」の人生は下劣だ....という感覚でこの点ではわれわれ日本人とは180度ズレた考え方だ。
誤解なきように付言するならば「規範となる精神な金儲け」がダメだというのである。
大学の学部を問わず4単位も取る義務がある一般教養科目に「経済学」がある。受講してリポートや試験に苦しんだ方には記憶に新しいと思うことに「アダム・スミス」の著書がある。
この世の経済は需要と供給の自然な流れに任せておけば、そこに「神の見えざる御手」が働いて市場価格が決まり経済活動が成り立つ...という有名な学説だ。
勝手な経済競争に任せることは「レイセイフェア」(仏)というのだが、そこには「神の..」がつけられていることを見落としてはならない。
彼らの言葉で語るなら....人間が超えてはならない精神の一線を意味するのである。
それを超えない限りの「利潤の追求」は企業であろうが個人でもヨシとされる。
加えて言うが、これは外国人との取引や個人的な付き合いのなかで徐々にわかるのであり、どんなマニュアル本を見ても書いていない。
このため彼らは企業・会社を興して大きな利潤を生むと、必ず「~資金」とか「~奨学金」または「~財団による....病院・学校」を設立する。
彼らとは人種も歴史も違うけれども「個人の趣味」の世界を何ものも干渉できないものとしたことには感謝したい。
趣味...は人を日常性とか仕事の経済論理が関係なくなる純粋なもの。
だからこそ、趣味を同じくする者は単なる友人ではなくなる。
中国語で言う「朋友」になる。
一方で、その貧富にかかわりなく、出自や会社の役職にも関係ないはずの「趣味の場」で自分のこの世の仕事・金・力...を語る人間は..job talking manだとして忌み嫌われることを覚えておきたい。
そういう人間は本当に嫌がられるが、一方でこれを意識できる日本人は少ない。
「こんなにすばらしい料亭を予約してご馳走しているんだから感謝してほしい」くらいしか考えてはいないのではないか。
同時に趣味の場でも「何をどれだけ釣ったか?」を気にして、すべてから解放されるはずの趣味の場に「この世の競争原理」を持ちこむ人間がいることだ。
最も危険なのは、それが日常化すると「純粋な趣味」であるはずの神経がマヒしてくることであろう。
日本はまだまだこの点においては始まったばかりだから仕方ないか.....
しかしながら「趣味」は持とう。
.......仕事....そして子育ての20年間。
それもいいけれど、それで終わっていいのか?
ここに感じる僅かもしれないが「疑問+空白」を埋めてなおあまりあるもの....時間...空間....それこそが..Hobby(趣味)の世界と思う。
趣味の世界では大企業の社長さんとも気楽に語りあえる。