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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

一人の人間として

2017.12.15

前回も書いたチャールズ・ジェンキンス氏の法要が佐渡で行われたそうである。

https://rdsig.yahoo.co.jp/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9oZWFkbGluZXMueWFob28uY28uanAvaGw_YT0yMDE3MTIxNC0wMDA1MDEyNy15b20tc29jaS52aWV3LTAwMA--;_ylt=A2RAElTzGDNaCF8An8_yluZ7

画像のcopyができないのでリンクアドレスでご勘弁願いたい。

Statesで「脱走兵」の汚名を責められても晩年を佐渡で過ごせたことは良かったと思う。
この点については日本はアメリカよりも寛大であった....

人は弱い。誰が何と言ってもこの事実は変わらない。

その弱さのゆえに過ちを犯す....長い長い人生だ。

私は懸命に頑張ったゆえの失敗...そして本人が心から悔いているなら..だが
その過ちは許されてよいと信ずる。

日本語の「過ち・罪」という言葉の概念はあいまいである。これが原因で誤解もある。

罪(つみ)というと日本語ではかなりマイナーなイメージがある。否定はしない。
ただ英語圏のキリスト教徒は明らかに「罪」を2つに分けて考えている。

sin・・・神に逆らう罪。宗教上+道徳上の許しがたい罪。
crime・・法律上の罪。通常、警察が立件し裁判になる罪。

日本語にはこの区別がない。

だから「人はみな罪びとです...」なんてどこかの司祭さまに言われると...カチンとくるのは当然だろうと思う。

「オレが罪びとだって!?」若いころの自分もまたそう思った一人であった。

キリスト教の国の...少なくとも英語圏では日本人の我々の「罪」感覚は通用しない。
彼らの思う「罪」' Sin 'は警察・検察・裁判所とはほど遠い。

それは「神から離れること」のすべてを意味する。

神に逆らう悪しき情念.....か。

曽我ひとみさんのご主人' Charles Jenkins ' 氏は1965年にヴェトナム戦争の最前線への派兵への恐怖に耐えられず北朝鮮へ亡命した。

それは否定できない事実である。

その一方でcrimeの罪は在日米軍の軍事法廷で課され償った。sinについては本人と神の問題であるが、ひとみさんと二人の娘さんたちへの真摯な愛情に満ちた接し方は神赦したもうものであったろう。

日本海に浮かぶ佐渡は江戸時代に罪人を送り金鉱で働かせた。船にならない限り逃亡は不可能で本土とは海を隔てて隔絶している。

ジェンキンス氏もまた、この隔絶島「佐渡」で家族と晩年を過ごせたことは幸いだった。
家族との生活、島の人々との心温まる交わりの中でようやくホッとできたであろう。

真の幸せは何なのか...一人の人間として深く考えさせられた。

R.I.P. Mr.Jenkins

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