進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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修行だぁ...修業かも
2017.12.14
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不謹慎なtitleで失礼する。
写真は今でも現役で使っている個人所有の辞書である。一番右の背表紙が破れかけているのはもう伝説になりつつある「英和大辞典」(研究社)だ。高校の時に家庭教師のアルバイトをしていたが、どうしてもこれが欲しくて初任給1万5000円の中から買ったことを思い出す。
その左が姉妹編の「和英大辞典」(研究社)。これも正確な訳語が知りたくて入手。そして極めつけが「広辞苑」(岩波書店)である。
どんなに正確に訳しても日本語としてクセのない、それでいて品のある翻訳でなければならない...とその頃私淑していた英語塾の師の言葉が頭を離れずに購入。自信がない語の使用例が正しいかを確かめたものだ。
英文に散在するラテン語もある。
世情を騒がせている相撲の世界でも「相撲道」を貫く日本古来の「道」を行く「心の相撲」と、何が何でも勝つことを目指す「力の相撲」が火花を散らしているが、これは英語の世界でも同じである。
「わかればイイ」「話せない英語なんてナンセンスだ」という説得力のある風潮が世を覆い尽くす勢いである。私もある意味ではこの動きが出てくることは理解できる。
労多くして...得るところがなければ人心は離れる。
今までの英語の教育法に多くの問題があったことは確かだ。大学の英語教員を育てる英語科教育法という講義でも歴史的に行われてきた各種の教育方法(methodという)にくわえて最新の事例を研究している。
いつもこの問題のなかで申し上げることがある。
それは「自分がどこまでの英語を求めるか?」によって学習の内容と勉強の量を正しく選ぶことが最優先で必要になる。
誰もこの点を指摘も説明もしない。なんと英語学習者にたいして失礼か!
これは全然、user-mindに立っていないではないか?
旅行や外国人の友人と本当に下世話な表現だが「ペラペラ」喋れるようになりたい...なら
、かつそれだけで本当にいいのなら「CDと会話例を多く盛り込んだ英会話の本」を買って来て毎日練習すれば効果アリ。あわせて自分の趣味や興味のある分野の用語を英語で覚えていくとドンドン表現の幅が広がる。
水をさすようで申し訳ないが、この状況を目的とする学習者にShakespeareやShelleyを読む必要があるだろうか....
一方で英文学の研究者や翻訳者は古英語にいたるまで完璧を期して学ばなければ仕事にならない。ここでよいという完成とか到達点などない....日々の研鑽は人知れず大学の研究室奥深く...或いは個人の書斎で格闘しつ積まれて行く。
教育現場にいる中高の英語科教員、塾の教師は目的が「生徒に英語を教える」「英語力をつける」ことが目的だ。じぶんだけ流暢に話せればイイとか自分の専門分野に絞って研究し、やがては本(専門書)を1冊書ければイイ..というところとは天と地ほどもその目的は違うのである。
自己満足では生徒を救えない。
ALTに対して我々日本人の英語教員はJETと呼ばれる存在だ。この意味はALTはほとんど日本語を解せないから英語で授業する。一方でJETは日本語を使って英語の説明ができるadvantage(利点)がある。
このあたりでようやく本題...
そのためにJETは一層の努力をそれこそ全身全霊を打ち込んで学んでほしい。
われわれが教える英語で生徒は育つのだ。(語学的な世界で..)
下記の写真は敬愛する龍口直太郎先生の英文解釈読本。その下は同じく佐々木高政先生の和文英訳の修業...私のような古い世代はどれほど苦しんでこのテキストに学び、かつ英語と日本語の埋めがたい溝のような隔たりを初めて感じて恐れおののいた....ものだったか。
確かに大学センター試験の傾向では「大量の英文を読ませて内容について問う」という形式が多い。高校入試にも長文が出る。
定められた時間内に英文の大意をつかむ訓練・勉強が必要であろう。
すべてを勘案しても絶対に変わらない条件が存在する。
それは、私たちが外国人であり、日本語を母国語とする日本人であるという否定しがたい事実である。
前述のような常に研鑽を積もうと日々自己学習しているタイプの先生についた生徒はluckyだ。....一方では「聞くだけで英語がペラペラになる」を信じて終わる。
私は日々、私塾の授業のなかで英語どころか「日本語ができない」生徒に教えている。
小学校レベルの漢字が書けず・文章が読めず書けず・文章を読んでも筆者・作者の意図が読み取れない....
それでも英語を教えなければならないのが現実の要求である。
「外国語の学習はその人の母国語レベル以上には決してならない....」
これは数世紀にわたる言語学研究の成果として誰もが共有する事実である。
JET(日本国籍で日本語で英語授業ができる教員)は諸説・邪説(?)に惑わされることなく生徒を正しく訓導・善導していく義務がある。
自分の英語は一生をかけた修業と心得ようと思う。
どんな教員に出会うか....である程度のところまで生徒の英語力は決まる。
責任は重大だ。