進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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もうやらない....
2017.12.11
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釣りのことや美味しかった料理の写真を盛り込んだblogなら誰の目にも止まらずそれこそ「人畜無害」のnuetralなものになるのだろう...羨ましいなあ自分にはムリだ。
何をもうやらない...のか。やりたくないのか?
「家庭教師」だ。
家庭教師は本人にピッタリ貼り付くように教える。わからないところを瞬時に教師の目で見ぬき適切なアドバイスを与えては、生徒の頭のどこかにある記憶の断片を引き出しては印象付けて覚えさせていく手法を用いる。
効果はある。でも高価だ。
そしてそれに伴うもの凄い責任をも伴うのである。
責任とは「成績向上・学年順位up・究極は志望校の合格」だ。
過去には成功例もある。静岡の名門私立高校に合格し、医大にも受かった。この生徒は今大学病院の専門医になっている。本人だけでなくご両親にも感謝されて本当に良かったと思う事例だ。10年に1回あるかどうかだ。
その成功例は生徒本人がstudiousであった。いつも勉強していた。学校の行き帰りのバス・電車のなかでさえ彼は勉強していた。
もし医大の受験に失敗したら「アタマを丸めます...」と言ったその時を思い出す。こんなに純粋な魂がまだ日本に残っていたのか....。自分の努力が通じないのなら仏教の僧侶になって最果ての末寺の住職として一生を終わりたい...それでよい、と言う覚悟の言葉だった。
十分すぎるくらい地元の中学で学び、名門の高校に受かり、その上に医師になるか否かを苦しんだ末に選んだ。基礎学力は必要以上に備わっていたI君の場合だ。
それと対照的な事例が10年前に実際あった。
生徒は体育系の生徒だった。両親も部活と体育系の道を進ませたいということでは一致していた。
残念ながら国語力がなかった。
本を読まず+読ませず....好きなスポーツ種目を最優先に頑張っていた。
結果...数学では方程式の応用(文章題)の「式」さえ作れない....
他の科目でも「問題の意図」....をそのたびに説明しなければ理解ができない。何をどう回答することを要求されていることがわからない...という状況だった。
要するに「何を訊かれているのか?どう答えればいいのか?」がわからない状態だ。
何度この点をご両親に説明してもご理解を頂けなかったことを残念に思うばかりだ。
「うちの子はバカじゃないんです。爆発で(そのまま)勉強すれば進学校なんて余裕で受かるハズなんです!」
生徒には決定的に「国語の力」が不足していた。満足に漢字が書けず、文章の中にある作者の意図・思いがつかめない。読後に自分が何をどう思ったかを文章化できない.....
具体的に言えば、小学校から家庭でどんな国語環境だったか?と言うことになってしまう。子供は親の言語現象のなかで生活しているのだから。
英語の学習法で考えるなら、学校以外の母国語である日本語の「読み・書き・話し・聞く(聴く)」のほとんどの部分を家庭内の言語環境に左右されることは否定できない。
お怒りを覚悟で言うなら、子供の国語力のまえに....ご両親は「どれほど本を読み、自分なりにお考えなのか?」ということになってしまうのである。
そういう環境の中で初めて伝わるものがある....
お叱りを覚悟で申し上げるなら....ご両親も忙しい仕事や家庭生活の最中(さなか)にも本を読み...1秒でもよいからわが子との対話を大事にしていただきたい。
「ウチの子が不安で夜眠れない....」と言うので毎朝マラソンをするようになりました。
そうしたらグッスリ眠れるようになり....安心しました。
「先生、こういう運動って大事ですね.....」と保護者(母親)の言葉。
もうやめた....絶対に家庭教師はもうやらない...と心に誓う。
親の価値観と現実の危機の間に大きな乖離(かいり)がある場合には何をやったところで虚しい。
大学の受験時に不安にならない人間などいない。
本人も親もどれだけ不安だろうか?
批判を覚悟でい言うなら.....
これは責任の転嫁と過去の再現である。
恐ろしいことではあるが、自分が受験のその時に感じたこと...悩んだこと.....そのすべてがわが子(孫)の大切な瞬間に現れる。
I don't know why......なぜかわからないが。