進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     | 日記 | 日本海軍

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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

日本海軍

2017.12.10

初めに申し上げておきたいが、私はいわゆる右翼ではない。ましてや絶対に軍国主義者でもない。ただ、子供のころから歴史...それも日本の歴史にはとても興味があった。母が京都の大学で歴史専攻だったのでよく歴史の話をしてくれたこともあったのかもしれない。

そしてさらに西川の家は旧海軍と深く結びついていたことを長ずるにしたがって知った。

時系列的には祖母の弟にあたる大叔父が海軍だった。詳細には第6艦隊所属の潜水艦の乗組の海軍士官であった。それはご存じかどうかと思うが「イ号」と呼ばれる大型航洋の潜水艦で広く太平洋に展開し遠くインド洋ではドイツのU-Boatと共同作戦を行った。

伯父(母の兄)は同じ海軍でも航空隊だった。終戦時は千葉県の館山航空隊にいた。
父は水上艦艇専修で終戦の時には瀬戸内海の呉所属の海防艦に乗っていたそうである。



横須賀航空隊の零戦52型。よく爆弾に間違えられるのが胴体下に装着された増槽(予備燃料タンク)である。これは航空燃料60L。空戦時には切り離しが可能だった。

伊号第一潜水艦

祖母の弟にあたる大叔父が乗り組んでいたイ号潜水艦。甲板の乗組員と比較して大きさがわかる。水上を航行時にはディーゼルエンジンで航行しながら発電機をまわしてバッテリー充電。潜航するとバッテリーでスクリューを回す。

航空隊の伯父は終戦間際で順番待ちで助かったが(失礼..)、イ号の大叔父はあのガダルカナル島をめぐる作戦で米駆逐艦と交戦。南太平洋の海深く今も眠っている...

いつか慰霊に行きたい。

父は終戦後まもなく「呉軍港」に進駐してきたオーストラリア軍に武装解除、海軍施設や装備はすべて連合軍に接収されたそうである。

塾ではこれらの記憶や歴史上の事実であっても生徒には「黙して語らず」の姿勢でいる。
塾生にはひたすら勉強を教えるのみだ....やがて塾生の中に歴史に興味を持ちデータベースを突きとめて国会図書館の資料(史料)を探すような生徒が出てくれば明治以来の日本の努力...そして東京裁判史観によらない本当の歴史を見つけてくれるだろう。

私はただただ、ご先祖や戦死した陸海の軍籍にあった方々、或いは内地にあって空襲や機銃掃射、艦砲射撃で亡くなられた戦没者に申し訳ないという思いである。

300万人に届こうとする先の太平洋戦争の犠牲の上に今の平和な日本があることを忘れてはならない。

誰も言わないことを敢えて言おう....

旧暦の「お盆」は8月13日に始まり15日に終わる。

どうしてメディアはこの点を説明もしないし、強調もしないのか!?
意識的にとしか思えない。

8月15日は終戦の日だ。

数学的な確率で考えたって365分の1である。

こんな偶然があっていいのか。

仏教徒ではない私だってこの日に込められた歴史の重たい意味をジッと考える。

8月15日の晩。伊東では松川(大川とも)に灯篭を流し亡き人を偲ぶ....
あの世の年間休暇は3日しかなく、この日に亡くなった家族や友は「あちら」へ帰る。
海(水)の彼方に「彼岸(あちらの世界)」があるという信仰からである。

参考までに言うなら、あのハロウィーンはキリスト教のお盆なのである。その翌日+翌々日にキリスト教国では墓地礼拝を行う。仮装して大騒ぎ..Trick or treat!だって!?
まあ、やめておこう....

私はもう話ができる友より、向こう側にいる友の方が多くなった。

忘恩の徒にだけはなりたくない....

西洋人の友がよく言う「まあいいけど。日本人は死んでからどうするんだろうね?不安はないの?」

出だしがまったく違うんだから...彼らは死んでから先をかなり心配する。





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