進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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即婚ってなんだ.....?
2017.12.08
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世の中は遂にココまで我慢できない時代に突入したのか......
結婚相談所の話である。
昔風に言えば「妙齢の女性」所謂(いわゆる)結婚適齢期...この言葉自体が差別論者だとレーベルを張られそうだが、20代後半の女性が短気になってきたらしい。
なんでも思った通りにしたい。就活が終わったから次は「婚活」だ!周囲に自分の思うような男性の候補者がいないから、ネットで成功率の高い割に費用が安い結婚相談所(?)を探すところアタリから情報戦が始まる。
最早「お気に入りの男性像」「生涯添い遂げるとしたら...」なんてことはまったく考慮ナシ。ただただ「申し込んでおいたSpecに合う相手がいたら最優先でメールください」である。
スペックか.....
だいたいスペックの語はエンジンや流体力学で使う用語ではないのか?私などスペックとカタカナで書いたりspecと短縮形で表記することすらイヤだ。
「仕事で忙しいし疲れている。それなのに恋愛で悩んだりフラれたりするなんてご免だ。
だからしかるべき相談所を利用して費用を支払い危険負担を回避する...」ということなのか?
でも希望通りの「性能仕様書」を充足する相手を見つけたところで幸せになれるのかどうか。それは数学の確率論の世界である。
幸せとか幸福という形がない...そうつかみどころのない精神・心の世界には物理的な基準である' specification 'などで測れるものではない。
「あなたがたとえ世界中の富を得ても幸せにはなれない..」と何かに書いてあったことを思い出す。
物理的・経済的な豊かさは立派な幸福の一部だ。否定できるものではない。私自身だってそんなにstoicな生活などムリだ。
でも「物質や経済の追求」だけが幸福のすべてではない。それで終わる人生ならいかに虚しいだろうか...それは哲学で言う' End '(究極の目標)ではない。
心から愛する人が回復の見込みがないような病気になろうと、年老いた老人になろうと、死してのちでさえも変わらぬ愛を持ち続けられるだろうか...
古(いにしえ)のギリシャ人はその「愛」を' Agape(アガペー)'と呼んだ。
人間はspecificationによって判断されるべきではない。
命の水が枯れたならもう一度同じ井戸を掘ってみよ....と言う。
ギリシア人は遥か昔に人の「愛」を3つの態様にわけて考えた。
日本語も英語でさえも「言語力の限界」がありギリシア語には及ばない。
アガペーのほかにどんな「愛」が存在するのか...物質的・経済的に何の得にもならないことが人に生きる力を与える。
それは新鮮な山の空気を明方に思いきり吸うのと似ている。