進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     | 日記 | なぜ海に行くのか

わかるまで教える。生徒の能力を引き出す...この2つを可能にするのが塾です。

Top >  日記 > なぜ海に行くのか

進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

なぜ海に行くのか

2024.04.01

私が高校のころ流行った言葉があった。

「そこに山があるからだ....」

これは当然のようにカッコよく流行ったのだった。論理的に考えたなら...「あなたは何故山に登るのか?」という問いかけがあるに違いない。確か山岳事故で世界一死亡例が多い谷川岳の一の倉沢(いちのくらさわ)であまりにも連続する山岳遭難の実情に当時のmediaがinterviewの結果を集大成して...あたかも数学の最大公約数のように数多くの言葉によってクライマー(climber)の気持ちを一言に凝縮したものだった。見事な言葉の凝縮だった。

私は海が好きだ。

何故か?.....と訊かれて初めて、どうしてこんなにも自分は海に惹かれるのか?と考えるのである。

海が好き..なんて当然じゃないか。当たり前のことを訊かれてもこまるよ...

今も昔も私は海が好きだ。キザと言われても英語で言うなら..I do love the sea.だ。
好きなんだから仕方ない。

話は急に歴史の彼方に飛んでいく。平安時代の終焉 同時に鎌倉時代の幕開けになる。

遥か昔.....源氏と平家の最後の闘い...瀬戸内海の「壇ノ浦の合戦」で平家は敗れた。平家に仕えていた西川のご先祖は海路を辿って落ちのびた。漂着したのは紀伊半島の南部...さらに房総半島の外房だったそうである。

ゆえに紀伊半島の熊野のあたりや串本、そして黒潮に乗って東へ流される地...外房の御宿~勝浦には西川姓が多いのはまた事実だ。半年か1年に1回ほど久里浜からフェリーで房州へ渡り外房を訪ねるとクルマで行き過ぎる景色にやたらと懐かしさがある。

それは幼い頃に祖父や父と見た景色と今見る現実の景色が重なり、たまらない懐かしさを感じるから....それもある。さらには道行くトラックが「西川運輸」だったり、勝浦の港に行けば「西川水産」があるからだ。

一度も会ったことはない。でもおそらく同じ先祖から出た同族なのだろうと思うだけで嬉しくてたまらない...相手が意識していないのに。それでもかまわない。自分も西川です。

この一体感...というか安心感は何だろう。別に何の経済的利益もないのに...私はヘンだろうか?長い間一人で仕事をして来たから、人や周囲から何と思われようと構わないというそれこそへんな自信があるが。

まあ..都会暮らしの人間が田舎の実家に帰った時のあの感覚に似ていると言えばご理解いただけるかと思う。

祖父の生家に行くには勝浦から海沿いに北上すればいいのだが、あえて一番海沿いの断崖絶壁を通る旧道を通ると「おせんころがし」という言われのある地を通る。その付近には「西川造船」が長い間あった。私が小学生のころにはまだ営業中だったようだが、いまはもうない。ペンキのあとでかろうじて社名が読み取れるだけだ。

強者(つわもの)どもが夢のあと...という芭蕉の句を想起するのみ。

そのくらい西川の人間は海にかかわっていたのだ。

祖父が御宿から上京して品川の丘の上の高輪に起こした会社の名は「品海社」(ひんかいしゃ)だった。祖父の胸の中には郷里の外房御宿の海があったのだろう。

だからだろうか...祖父は日本橋の三越に買い物に行きたがる祖母や母とはshoppingに行かなかった。かわりに父と私が海に釣りに行くというと、よく(often)一緒に行ったものだ。なんとか釣りが一人でできる幼稚園の年長組から中学2年までの10年間は楽しくてたまらない祖父・父・私の3人の釣りの想い出でいっぱいにあふれている。それは東京湾・三浦半島の横須賀~城ヶ島。さらには遠征して祖父の喜ぶ外房の勝浦~御宿~九十九里浜~銚子の房総半島に及ぶ....とてつもなく広い海だった。

駄々っ子のようだが、その流れで当然のように私は海に惹かれる。

海で....それも半世紀前を思い出すような美しい透明な駿河湾の沖に出ると、私の心は遥か昔の童心に帰る。あたかも祖父や父が一緒にフネに乗っていて釣りを楽しんでいるかのように思う。

自分にとって海は父であり祖父である。

そう思える私は幸せだ。神とご先祖の努力に感謝。






















































日記一覧へ戻る

【PR】  あびの宿  有限会社 高緑商店  交通事故治療優秀院 せいた鍼灸整骨院  和漢整骨院内 わかん整体  おうちサロン マンサルド