進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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アジ釣りから学ぶもの
2024.01.27
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しばらく海況がよろしくなかった。加えるに私立高校受験の塾生の学力が思わしくなかったので塾の指導にのめり込むように埋没して釣りどころではなかった...というのが本当のところかもしれない。まあ、それらが一段落ついたので今日は久しぶりに海に出た。
近頃は自分のフネで沖へ出て気ままに釣る...以前のパターンから、アジ釣りで私淑するM師匠のフネに乗組員として乗船することが多い。自分のフネではすべての責任が自分にあるが、その一方で良くも悪しくも「自分中心」の釣りに終始することになる。
人間どの道でも自分より優れた技量とそれ裏打ちする人格の持ち主を「師」と仰いで学ぶことが必要だ。自分が中心になると「謙虚」であることを忘れる。自分がすべて...自分だけが正しい...やがては自分が「師」であり「神」になる。そのまま歳をとったらどうなるのか。いとも恐ろしい。
「人は己(おのれ)を写す鏡が必要だ..」とは吉田松陰の言葉。
釣りは自然のなかに自分が入り込むことを求める。
入り込む...とはそれこそ「自然に対して自然に溶け込む」ことではないだろうか。
アジ釣りは勿論のこと海の釣りだが、特に今のような冬の厳冬期の海でアジを釣ろうとするなら様々な条件をクリアしなければダメだ。
自然条件で言うなら....まず潮通しが良く外洋からの潮流が入ること。水質が良く真冬でも16℃以上の海域であること。アジの好むエサとなるプランクトン・各種の魚類の幼生幼魚が豊富。外敵のFish-eaterであるブリやカンパチが襲ってきたときに逃げ込める海底の「根」や「漁礁」があることだろうか。
そうなると、あの広い海.....沼津から見る駿河湾も際限なく広く見えるが...アジの好む条件を満たす海域は限定される。消去法で行けば本当にピンポイントになる。真冬の海にはそこにしかアジはいない。
探り当てたポイントは狂喜するくらい嬉しい。それはBoat-Fishermanには宝物のようなポイント情報である。そこは5mの誤差で釣果は半減し10m違ったら全く釣れない..そのくらいの範囲をpin-pointと言う。
われわれのような釣り人を「アジ師」と言うらしい。
アジ師はスーパーの鮮魚コーナーで売っているようなアジは考えていない。あれはどんなに活きがイイアジでも...背中も尾びれも黒い「クロアジ(マアジ)」だ。漁船が網で獲るアジで外洋の表層近くを回遊するアジ。
アジ師が追うのは海底の根(岩や障害物..沈船も)にいる「居着きのアジ」なのだ。そのアジは回遊せず条件の良い「根」にいて小エビやプランクトン、果ては他の魚種の幼魚・幼生をエサにして成長する。エサに含まれる酵素の作用でそのアジは黒さを失っていく。
やがて黄色から輝く金色にその魚体を変える.....
これを伊豆では「キアジ」と呼び、房州の館山では「キンアジ」と呼んでブリやマダイなみに珍重する。
その刺身は...ほんのりとした上品な甘みがある...脂の乗ったこの上ない味である。
そのキアジのためにアジ師は全力を尽くす。昨年...一昨年の釣果記録を呼び出してその時の情報をもとに今日のアジ釣りを考える。
海は人を試す。
昨夜の月は満月....だから今日は「大潮」のはず。大潮では満潮~干潮の海面の差が最大になり沿岸潮流は最高に早くなる。時は谷川のような潮の流れになるから、釣り人の仕掛けは海中を斜めに「グワーン」と流されてしまい(例えば水深30mのはずが50mのラインがリールから出ている)とても釣りどころではなくなる。
.....という前知識からは今日は貧漁。まあ数匹のアジが釣れておしまいだろうと予測していた。それが自然の理(ことわり)だ。
ところがである。 豈図らんや....
大潮のはずが「沿岸潮流」は穏やかだった。しかも冬には珍しい「凪(なぎ)」の海になった.....なんかヘンだ。
結果は嬉しい予想違い.....でキアジの入れ食い。
数えなかったが 良型のキアジが70匹以上の釣果。腕が痛い。
神さまは意地悪だ....
魚体全身の色。尾びれが「黄色い」?か。写真下がキアジ。成育環境が良いとさらに体高がましてヘラブナのようなキアジになる。ちなみに駿河湾には50㎝を超える信じられない巨大なアジがいる。釣り師「メガアジ」と呼ぶ。この巨アジはさすがにサビキ仕掛けには来ない。コマセカゴに天秤の2m長ハリスで付けエサはオキアミの仕掛けにhitする。私は過去に3回釣り上げたが...味はイマイチだった。脂がのりすぎだったから。これは個人の好みの問題になるだろう。