進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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Long time no see...
2023.09.15
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久しぶりに友人に偶然出会った。
彼の国籍はニュージーランド。日本に来て久しい。でも意固地になって日本語を勉強せず学ぼうともしないからいまだに英語で話す。
私が ' Hey.....Long time no see ! '「おや、久しぶりだねー!」と言うとイヤな顔。
彼 ' Mr.Nishikawa, why do you always speak in American English !?'
「ニシカワはどうしていつもアメリカ英語で話すのですか?」と来た。
私 ' I haven't seen you for such a long time.'「お久しぶりでした」と言い直す。
彼 ' I like that style....’「それがいいよ...」
私は生まれたのが東京の三鷹。
ロックフェラー財団所有の林の中で育った。そのimageは「トトロ」のそれに極めて似ている。ICU(国際基督教大学)や米軍調布基地の近くだ。武蔵野の原生林がまばらに残る昭和30年代の東京郊外だった。
その後小学校4年生に転居。
それからは練馬区のグラントハイツ(在日米軍空軍家族の居住施設内)の近くで育った。毎日出会うのは在日米軍の軍人と家族。聞こえてくるのはアメリカの英語(American English)だった。だから自然と私の英語はAmericanだ。
思い出すのは....歩道を指さして彼が ' pavement 'だというから、私が...' side-walk ’
だねと言うと、いや違うよ' pavement'だと言って譲らなかった。
本当は同じことを言っているのだがお互いに譲れないのだ。
ちなみに日本の中学・高校で習うのはアメリカ式の英語だ。だから交換留学でイギリスへ行った伊東の高校生は英語が通じないことにショックを受けて帰国する。イギリス英語は独特の高音域の響きがありTとPの発音が明瞭に響く。homeは「ハウム」と聞こえる。
高校の英語教師はここのところを予想して指導してから送り出しているのだろうか?
それでいて日本の大学で英文科に進むとイギリスの大学で学位を取って来た教授陣である。アメリカの大学で学士・修士を取って来た若い先生方はなかなか教授になれない。
私がお世話になり、かつ深く影響を受けた老K教授も若くしてイギリスの大学に留学。
苦労して修士・博士課程をとって帰国した大先生だった。
もう亡くなったが、K先生が英国へ留学して持ち帰った「英文学の深い観賞」はその教えを受けた学生に受け継がれている。
実際、私の英語がどんなにAmericanであっても、その母体である英国の文学がどれほど深く一生かけても汲みつくせないほどの歴史と教養に満ちた源泉であるか....をK先生の指導を通じて私の中に刻み込まれた思いである。
「西川君、キミも苦労したね.....」
K教授のおっしゃった、その一言で私は救われた。涙があふれた..先生はわかってくださったのだ。 御恩は生涯忘れません.....
和魂洋才はいまだに健在である。
It is still remain in my memories......not US.bace but.