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硫黄島は.....

2023.08.24

Locationで言うと硫黄島は伊豆諸島のさらに南にある小笠原諸島の少し南に位置する。
東京都の行政管轄に入り...1250㎞南だ。

すでに多くの人がご存じのように先の大戦の最大級の激戦地で有名。ちなみに硫黄島の読み方だが....ココにもストーリーがある。

当時の米軍の中には移民した日本人の子どもにあたる日系2世の兵士がかなりいた。特に太平洋戦線では日本軍との戦いであるので、捕虜の尋問や捕獲した文書の翻訳のための通訳兵としてかなり多くの日系2世兵士が配属されていたと聞く。

米軍の対日戦略は「島伝い」に上陸し占領する作戦だった。サイパン・グアム・テニアン島を攻略し、次の目標となった時に作戦海域の海図を出して米軍の作戦将校が日系2世の兵士に「硫黄島」は日本語で何と読むのか...と尋ねた。

彼は'Iwo-jima , sir '(いおうじま と言います)と答えてしまった。

その故に...その後の作戦において米軍では「イオウジマ」になった。本来の日本領土としての呼称は硫黄島は「いおうとう」と読むのが正しい。これは声を大にして申し上げたい。

歴史的には1500年代の終わりごろイスパニア(スペイン)船に発見されたのが最初。次いで1600年代にはいりイギリス船が調査した時に、火山活動が活発で硫黄のニオイが強かったことから' Sulfur Island '(硫黄の島)と名付けたことによる。

硫黄島については個人的に思い入れがある。前にも何度か書いたが...西川の2番目の伯父は海軍航空隊だった。外房の館山航空隊にいた伯父は硫黄島との間の連絡機として飛んでいたそうである。そしていよいよ米軍の上陸作戦が始まり飛行場も艦砲射撃で破壊され始めた....離着陸ができなくなる最後に離陸したのは伯父の機だった。

米軍の硫黄島攻略作戦で、上陸第一陣の海兵隊員を乗せ、海岸に向かう多数の上陸用舟艇[米海軍歴史センター提供]。米軍が上陸…

日本軍守備隊は陸海軍の2万人。上陸米軍は7万人で3.5倍だった。LSTが艦砲射撃の後、
大挙して上陸する。米軍のLSTは優れた兵器で上陸用舟艇で接岸後は軽戦車としても活用できた。日本軍のそれは「大発:ダイハツ」と呼ぶ。

米軍の硫黄島攻略作戦で、上陸部隊の海兵隊員を乗せて海岸へ向かう上陸用車両[米海軍歴史センター提供]。写真の車両はLVT…


戦後の硫黄島の遺骨収集に参加したいと私は心から願ったが「硫黄島で戦死したことが確実な親族のみ」自衛隊機に乗って埼玉県の入間基地から硫黄島へ行けるとのこと。伯父は硫黄島を辛くも離陸脱出しているので参加資格はない...とのこと。

硫黄島守備隊の最高指揮官は陸軍の栗林中将だった。欧米での駐在武官の経験もあり英語も堪能な栗林中将には事案の問題で「日本は負ける」という悲しい確信があった。

その故に...われわれ守備隊が硫黄島を1日でも長く守ることが日本の終戦条件の有利につながる....生きて祖国の地を踏める希望は捨てよ!と守備隊全員に訓示したそうである。

だから、それまでの米軍上陸の水際に火力を集中して全力をあげて攻撃する方針を180°変更した。

島の地下をトンネルで連絡して、島全体を地下基地にした....そして 敵が油断するときに地上へ出て攻撃する。いわばゲリラ戦術だ。

この巨大な敵に効果的な打撃を与える闘い方は....なんとその後の...あのベトナム戦争で
米軍との戦闘に対する最も効果的であるとして実行された。

ベトナムのジャングルの下には「村」そのものが移設されたのだった。強大な軍事力を持つアメリカに如何に対抗するか。その命題を果たそうとヴェトコンは歴史を研究した。
原爆を落とされ民族の滅亡寸前まで戦った日本こそ彼らが目指した実例だったのだ。

日本は...祖国はやがて負けると知りつつも、その後にやってくる講和条約を少しでも有利なものにしようとしたのが硫黄島であり沖縄への特攻作戦だった。

大平洋戦争の全戦闘において「米軍の死傷者数が日本軍のそれをはるかに上回った」戦いが硫黄島の攻防戦だった。

攻める側だったアメリカ兵をも...その後の人生をまったく変えてしまったのが硫黄島の戦闘だった。身体の傷は癒えてもPTSDにより廃人になった兵隊も多い。生きる事...そもそも生まれて来たことの意味に深く悩んだ末に司祭・牧師の聖職者になったという話は壮絶な精神の闘いでもあったろう。日本側の守備隊のうち数少ない生き残った兵士の中にも仏門に入り修行の末、遂には僧侶になった者もいる。

硫黄島には未だに発見されず洞窟の地下深くに多くの英霊が眠っている。厚生省の遺骨収集団は米軍の資料も参考にして作業して来たが、島の多くは戦後80年近くたっても調査されていない場所が残っている。火山活動が活発で守備隊が命がけで掘った地下トンネルは50~60℃の気温で立ち入りが危険であるからだ。

でもそこに見つけられず未だに眠る守備隊の犠牲の上に...今の私たちの平穏な毎日があることを忘れてはならないだろう。

死者にも憐れみを......




硫黄島は東京の南1250キロの洋上に浮かぶ東西8キロ、南北4キロの小さな火山島。太平洋戦争末期、この島を巡り、日米両軍…

写真左下に見えるのが摺鉢山。山頂に星条旗を立てる海兵隊の写真はあまりにも有名である。新聞にこの写真が掲載されてからアメリカ国民の厭戦気分は吹き飛んだ。硫黄島が落ちてから米軍は沖縄への上陸作戦に前線を移す。そして日本側では、九州の南端の知覧航空隊・鹿屋航空隊から陸海の特攻機が沖縄をめざして離陸して行った。

私は日本人であるがゆえにそれを思うと心は複雑で悲しい...

その後 数十年にわたり硫黄島で心霊現象があったとしても不自然ではない。

人間...何も知らずに平和に楽しく生きるのが良いか。或いは真実を知って悲しみ苦しむべきか...これこそ選択の自由なのか。恐ろしくて司祭さまにも尋ねたことはない。


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