進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
-
大津波で....
2023.03.11
-
あれからもう12年になるのか....叔母(父の妹)は宮城県東松島市の野蒜近くの東名(とうな)の漁港近くにいて亡くなった。足が不自由になり一人で2階にいたところ家ごと津波にのまれて行方不明になっていた。
地震から3カ月も過ぎたころに従姉妹から連絡があり「松島の海の底で母が見つかった!」と言う。海上自衛隊の潜水隊員が見つけてくれた。叔母は通所でリハビリに通っていたので靴下に名前がマジックで大きく書いてあり発見につながった...感謝だ。
そしてようやく葬儀ができることになり伊東から母を連れてクルマで出発...東北道をひたすら北上すると福島県の白河あたりから景色がヘンだった。家が流されていたり田んぼや畑がなくなって平坦な泥地になって見える。
そして「災害派遣」と大きく白地に書いた自衛隊の車輛が北をめざして走って行く。東北道のSA.は制服を着た若い自衛隊員たちでいっぱいだった。休憩や給油でSA.に入った人々のまなざしはいつもとまったく違うことにあらためて気づいた。
「ありがとう ありがとう」と言う感謝がどの人の目にも表れていたことを思い出す。
日本の一部には、ふだん日常的に自衛隊不要論を声高に叫ぶグループがいる。
或いは存在そのものを否定している違憲論があるが....本当に正しいと信ずる主張ならなぜこの時も主張しなかったのか。
実に巧妙にして鵺(ぬえ)のようだ。卑怯だな。
もうかなりの時間がたったけれど、新築したばかりの家を土台から流されてしまった従兄一家が無事だったことは不幸中の幸いだった。
大津波で従兄弟の家の近所隣は全滅...偶然クルマの近くにいたから家族で飛び乗り高所をめざした時には死ぬ覚悟だったそうである。これ以上進めなくなったところでクルマを棄てて崖をよじ登ってぶら下がり津波の第一波が引き波になるまで頑張ったと聞いた。
従兄たちは冷たい海水に濡れ寒さに震えていたところを翌日になってアメリカ軍の空母艦載のヘリに発見された。食料や毛布を投下してもらい命ながらえて陸上自衛隊のヘリに救助されたのだった。
かつて私が夏休みのたびに従兄たちと遊んだ港も海岸もすっかりその姿を変えてしまった。防波堤が海底に沈んだから地形の変容に圧倒される。
当時「東北の復興を!」とあちこちに標語が見えたが、従兄がボソッと言った一言が忘れられない...
「復興ってもとに戻すっていうことだベ....新しく造り直すんだから違うさ」
今年の夏には瑞巌寺の先祖の墓参に行きたい。