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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

空襲

2023.03.10

毎年3月の今頃になると自分の魂は78年前と12年前に戻っていく...タイムスリップなんて言葉でごまかしたくはない。日本人なら誰でも心の片隅に感じる民族の痛みともいえる歴史上の大惨事だ。

1945(昭和20)年の3月10日は東京大空襲の日。実際には9日の深夜から10日の未明にかけて当時の東京はB-29の大編隊による空襲を受けた。



マリアナ諸島のサイパン・テニアン島を離陸したB-29は伊豆諸島沿いに富士山を目標に北上して、右(東方向)へ変針。東京・横浜の空襲に向かったというから腹立たしい。



自動車大国のアメリカは自動車工場の生産レーンを航空機製造にかえて増産。当時の最新技術を投入して作られたB-29は現在の民間旅客機のように機内は与圧され室温調整行き届いて高度10000m以上の高高度を高速で飛んだ。日本の迎撃戦闘機も追いつけず..実にこれまた腹立たしい。

とうとう3月10日には飛来したB-29大編隊の空襲爆撃により死者10万人以上の大被害をだした。使った爆弾も当時の日本家屋を火災で焼き尽くす目的で研究開発された「焼夷弾」だった。

米軍はこの大空襲にあたり「江戸の大火」と大正時代の「関東大震災」の火災の起こり方を徹底研究したというから...もはやタマラナイ心境になる。

西川の本家のある高輪は皇族邸や中立国の大使館が多かったためか、爆撃目標と針路から外されていたようである。それでも強風で流れ玉のように落ちて来た焼夷弾が母の友人宅へ直撃し、両親は即死...友人は全身がケロイド上の大やけどでその後を生きることになった。小学校の同窓会のたびに母は泣いたそうである....

母たちは東京都の実施した「学童疎開」で空襲を逃れるために栃木県の塩原へ疎開していたが、小6の卒業式のために実家に里帰りしていて大空襲に遭った。

ヒロシマ・ナガサキの原爆被害は世界的に有名になり大々的に慰霊祭が行われるが、この東京(帝都)大空襲のみならず地方都市の空襲で亡くなった方々の魂をも忘れてはならないだろう。

大切なことは「戦争があってはならない」と声高に叫ぶことではない。絶対に戦争が起きないように各自が各分野で出会う....それこそ全ての機会において最善の努力をすることではないだろうか。

外国人と出会い、接する一瞬においても敬意と礼をもった一瞬であってほしい。
われわれ一人一人を見て彼らは日本を判断する。

理想論を振りかざすだけでは日本に未来はない。





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