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受験ってなんだ...

2023.02.19

およそ「受験」と聞いて気持ち良い人間はいないだろう。

受験という文字は「試験を受ける」と書く。試験は人を「試し選ぶ」ということだ。
全員が選ばれない以上、それは誰かが選ばれない場合もあると言う意味だ...万一選ばれなかったらその人は傷つくだろう。誰だって自分は...少なくとも自分だけは傷つきたくはない。

では試験とは何だ?
人が傷つくとわかっていながら何故..試験がなくならないの?

例えば喫緊の実例なら私が教えて来た塾生たちの高校入試があるが、それは「高校へ入学するための選抜試験」である。その生徒の学力と人物を中学3年間の記録を見た上でそのい高校に相応しいか...入学して3年間の高校教育に耐えられるかを判断される。

これは高校が最早「義務教育ではなく自己の希望で進学する」のだから高校側が受験生の中から選ぶことは当然必要になってくるだろう。

事実上の最高学府である大学はさらに磨きをかけた選抜になる。AO入試や各種の推薦制度があってもなお一般入試は永遠になくならないではないか。

明治時代には本当に選びに選び抜かれたエリートが「大学生」となった。地方においては地元で秀才ともてはやされた優等生。不行跡・親不孝・非行など一切ない若者が大学生となった。あと2つ現在では考えられない条件があった...身体壮健で親に十分な資産があることだった。身体壮健とは健康であることだが具体的には..結核ではないことだった。戦前までの日本では優秀であっても虚弱な若者の多くは肺結核で夭折する場合が多かったからだ。さらに奨学金制度もない当時は実家からの十分な経済の支えがなければとても都会で4年間を学問に打ち込むことは不可能だった。これらの条件をクリアした若者にしてようやく大学受験が許されたのである。

この「試験」に合格して立身出世...という図式は今の世に根強く残っている。
あたかもそれが人生の成功者と落伍者を決めるような風潮が今でもあることに驚かざるを得ない。何かの試験に合格....或いは不合格..と言うのはその瞬間の事実でありaspectに過ぎないのではあるまいか。

長い長い人生のある時期に、有利な条件かそうでないかぐらいの差でしかいない。
人間の一生はそんな簡単にクリアカットに判断できるほど単純明快ではないはずだ。

だから困難な受験に勝ち抜いて合格したご父兄のお喜びの気持ちは同じ親としてよくわかるけれど「ホントに苦しんで勉強したのは生徒自身ですよ」と言いたい気持ちをおさえられない。せめて最難関の高校や大学に我が子が合格しても他に誇ることなく静かに内なる喜びにとどめておいていただきたいと思う。

私の個人的な思いとは別に「試験の機能」もまたその一方で存在することを否定できない。簡単に言うなら「試験がないなら勉強するか?」ということ。

中学生・高校生は学期ごとの中間テスト・期末テストがあるからこそ必死に勉強する。中学では学年順位がつき成績が決まるだけだが、高校では最低点以上に得点しないと単位不認定(赤点)になって就職にも進学にもストレートに響くからだ。

大学では必修・選択の別なく日常的に教員は学生にリポート提出を求める。これは講義内容を理解し発展が学生本人においてあったかをい見極めるための作業だがリポートも試験のうちだ。指導教員の合格確認をもらえないとリポート再提出になる。合格するまで再々提出しないと単位がもらえず卒業できない。

一般教養からさらに専攻科目までリポートは永遠と思うくらいに続く。教員が出した課題を本当に理解して書いているか...指定した分量に見合って「序論・本論・結論」が書かれているか...誤字脱字や日本語としての文法にそって正しく書かれているか...までをチェックされるが、これはやがてやってくる卒論の大事な下地であり訓練でもある。

リポートをクリアすると各科目の単位習得試験となる。すべてのリポートが合格でもさらにこの試験に合格しないとすべての努力は水の泡となるから学生は必死になる。

そして4年間の学業修行を終えるにあたり(実際には大学3年生くらいから準備)「卒論(卒業論文)」を書き終えて指導教官に提出する。これは必修の大学と現在は卒論にかえて8単位分を選択科目で充足すれば可とする大学があるが、原則的に卒論に合格して初めて自分の大学を卒業でき「学士」...英語ではB.A.を名乗ることができる。

友人に警察官になった者もいるし、卒業生で自衛官に進んだ生徒もいた。彼らが一応に言うことは「常に勉強して仲間より上の階級になりました」だった。

人間は試験がなければ勉強しない....これは古今東西において誰も否定できない事実だ。

アメリカの「自由・平等」と日本国憲法の「機会均等の平等」とは与えられたチャンスに挑む自由と平等であり「結果の平等」ではないことを心したい。

チャンスはあるけど結果はあなた次第だよ....ということ。

これをありがたいと考えるかどうかは、さらに個人の価値判断にゆだねられている。

戦国の覇者・徳川家康公の人生はここから! 愛知「岡崎城」







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