進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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元旦
2023.01.01
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キリスト教国の西洋では日本ほど元旦を祝うことはない。その分を前年のクリスマス休暇で1週間以上のお祝いだから....まあ五分五分かな。アメリカでは元旦をNew Year's Day
(新年の日)でお休み。翌日の1月2日はもう平常日になるから。
おっと....ここは日本だ。
明けましておめでとうございます。
「ああ、日本人でよかった」と思う一瞬である....それは自分がキリスト教徒で西洋キリスト教の精神文化圏に生きながら、同時に生まれながらの日本人だと言う不可解な事実に生きていることの証(あかし)でもある。
人間は時間を測るのに苦心したらしい。
古くはメソポタミア文明...近くは日本の江戸時代には月の満ち欠け(満月~次の満月まで)を基準にした「太陰暦」があった。今は太陽の1年間の動きをもとにした「太陽暦」のcalendar(暦)を基準に採用している。
時間は誰が何をしてもしなくても勝手に過ぎていく...ある意味で残酷なものだ。
このメルクマールで考えるなら別に「元旦の1月1日~大晦日の12月31日」までなんて考える必要はなくなる。地球ができ...少なくとも人間が理性によって時間の観念を持った時を数学の絶対値のように基準点とすればよいのに。敢えて人は「西暦(邦歴)...年..月..日」として1年を基準に元旦~大晦日の365日で考える。
ここに何か特別の意味があるように思えてならない。
日本では「初日の出」を見に行ったり...それも富士山や木曽の御嶽山に登って見たりする。伊豆では元旦の日の出はちょうど伊豆大島の三原山から昇るから誰もが「大島」の見えるところに行く。
天文学的に考えれば当然にして当たり前の事実なのだろう....
でもその当たり前の事実は人の一生のうちの「その瞬間」なのだ。
ここに価値を見出すか...バカじゃないかと寝て過ごすか。それは各自の価値観の問題だ。
人の立ち振る舞いを批判しない。でも自分の信じる道は進む。
これこそ誰も言わないが、戦後の日本にこそ与えられた珠玉の「自由」なのだ。
.....と言う訳で6:51の日の出に間に合うよう稲取の海辺に急ぐ。
新たな年の1年は「神さまからもらったボーナス....」と心から感謝だ。
友は「オマエバカじゃないか」と言う。
オジイチャンは神奈川の大山(おおやま)や木曽の御嶽山へ元旦に登ったんだけどなぁ....「ごらいこう」だ。
キミたち、向こうへ行ってから後悔するなよ。