進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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親の役わりって?
2022.09.07
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このブログをご覧の方の多くは塾の関係者...ご父兄や卒業したかつて私が教えた塾生と思う。あとはマリーナの友人や釣り友、教会の人間だろうか。
それぞれ家庭を持ち、子供がいることだろう。私も曲がりなりにも結婚し子供がいてよかった。それは子供が成人になり社会人になるまで育てみて、たくさんの失敗や子供への思いのゆえに信じられないガマンをしてきたから。
その恥ずかしい体験のそれぞれが塾を続けて行くうえで実体験に基づく指針を与えてくれたからでもある。
月日の経つのは早い....今年で塾を始めてもう40年になる。その間には本当に多くの生徒がいたが、ここ数年に急速に塾生の性格と言うか...人格が変わって来たことに気づく。
それは「イイ生徒か...どうか?」と言うなら........皆それぞれにイイ生徒だ。
ただ、私の杞憂でなければよいのが、年々「自分を抑えられない」生徒が増えているように感じるのである。
そして「自分を抑えられない」ことが原因となって学力の急速な低下が今の現実となっている場合があまりに多いことに驚く。親子で苦しんでいる。
少し前なら生徒が「先生、平方根が乗法公式に入った計算がどうもわかりません」と言えば、その部分の補習をやればつまづいた学力はすぐに元に戻ったが.....
最近の学校でも塾でも教師を悩ませるのはそうした具体的な対策が立てられない、いわば本質的な部分でありメンタルな面なのだ。
中2..中3にもなって「腹がすいた・のどがかわいた・疲れた・眠い・トイレに行きたい」という第一次的な欲求をまったくコントロールできない。
「家でしかられた・学校の教師にむかついた・部活で失敗した」という個人の精神的な問題を塾へ持ち込む。
塾での2時間は本人も私も「忍耐」がなければその日で終了のようなツライ授業になる。
家庭が塾に期待するのは何だろう?
私は誰が何と言おうと「学力の維持+向上」が第一と信じる。
塾から受ける心的影響は大きなものがあるが、それは二次的なオマケのようなものだ。
では塾へ来て指導を受け「学力の維持と向上」を現実化するには何が必要かを考えていただきたい。
前述したような「ハラが減った・のどがかわいた」などの身体的欲求や「学校・家庭内でのイザコザ」を塾に来る前にすべて捨ててほしい。
それができないなら塾は休もう。「本日心身不調につき..」でかまわない。
他の生徒に与える影響も考えてもらいたい。
少し話を戻そう。
誠に申し上げにくいが、問題は生徒とか子供の学力・能力ではない。その基礎となる..或いは基盤を支える家庭内の教育...「躾(しつけ)」が最大の問題と思う。
「躾(しつけ)」というと何か強制的な陰湿な響きが日本語に漂うが、それこそ戦後の過てる民主教育の結果と考えられないか。
英国では...Charity begins at home.と言う。
国が歴史が体制がどうあっても、すべては「家庭」に始まる。
親が右だろうが左だろうが構わない。「ウチはこうだ...!」という価値基準がなければ子供は本能と欲望のままに育つ。もう、あとはメチャクチャだ...今日は何を食べに行こうか?という日々になるだけ。
親がシッカリした、世の流れに関係ない考えを持たないと子供は不幸になる。
卵から孵ったアヒルの子は目の前に動くものに従う。それが親だ...
中学校をあと半年で終わるころにもなって、自分の不勉強を反省するでもなく成績が振るわないことを学校の教師や家庭のせいにして「ムカつき...暴れる」生徒。では、そうなったのがだ誰のせいなのか...も考えられない生徒。
私は彼らを憎まない。バカだとも思わない。
ただただ.....可哀そうだと思う。
𠮟りつけるのはカンタンだ。それでこの子たちが救われるのか?
家庭の躾というより以前に、家族の対話・会話はあるのだろうか?
中学や高校生になった我が子と何か話す..のは難しいのは私もわかる。
でも家族の対話はそのほんの一言の中に思いやりを感じるものではないのか。
そうでなければ家族はたんなる同居人になってしまう。
家庭の持つ力は...私たちが思うより遥かに強い。
その力によって子供たちにまず....人間として必要な「躾(しつけ)」をしていただきたい。「靴をそろえて脱ぐ・年長者へは挨拶・弱者へのいたわり」...などは学校や塾の教育範囲より遥か以前のことだ。
親の役割は何だろう.....
いろいろに言えるが、私は「この世は自分の思い通りにはならない」ということ。
何より「ガマンすること」の意味を教えること。