進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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如何に生きたらよいか...
2022.08.28
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ありがたいことに前々回の「人生を高揚させるもの」を読んでくださった方々から個人的な反響が大変多く「より詳しい解説を」とのご要望に応えたいと思う。
1.本を読む
2.優れた人と会う
3.旅に出る
これは皆さんが..もちろん私自身を含んで人生に限りがあることに気が付いたというありがたいchanceであり仏教では発心(ほっしん)と言う。
「人生を高揚させるもの」とは大学歴史学科の恩師T教授が学生を前に語られた話の要点を具体的に絞ったものだが、以下のわかりやすい3つの具体例に共通して語られることがあった。それは「魂の変容」(先生の使われた言葉)という言葉だった。
以下具体的に一つずつ自分なりの解釈を述べてみたい。
1.本を読む....
本を読むには目的において2つある。まず一つは「知識を得る」こと。これは受験勉強においてしかり。資格試験に合格するため、または自己の仕事上のスキルを高めるために読むのであり、言い換えればそれは「自己のための利益」につながる行為と言える。それは必要であり立派な学習であろうが、それはここで言う「読書」ではない。
もうだいぶ前になるが友人のご尊父に会い書斎に招かれたことがあった。「私も随分本を読んでいます」とおっしゃる書斎の本棚に隙間なく並べられた本はすべて専門書だった。お父上は電気でも高圧(6000V以上)の第1種電気工事の専門職であり、本当に勉強家であったが...仕事にかかわる専門書は仕事のために必要なitemを読み込む..loadの作業。
何か「本」そのものを区別し差別するようで思わず慎重になるが、技術書である実務書をどれだけ読んだところであなたの魂は変容しない。
では何がメルクマールというか判断基準になるか....
その本の中に作者の魂を感じる本の読書こそ、ここで語られる「読書」である。
よく「心の琴線に触れる..」と言うが、優れた著作(本)は作者の魂そのものである。あなたが何かの本を読み進むうちに内容に引き込まれて行ったと言う経験はないだろうか?
もしなかったとしても恥ずることはない。日本語の読み書きができるなら出会いはすぐそこにある。
歴史を時代をも越えて、なお存在する書物にはそれだけの価値がある。
それは日本のものでも海外の原書を翻訳した本でも同じである。
その本の中には作者が...その魂はページの行間に..生きている。
それが、もし今まで出会ったことのない世界を私たちに垣間見せるものであれば...読んだ後のあなたは変わる。
優れた本を「読書」することで変わるのはあなたの精神と心である。数値化できない内面を豊かにする。一方で経済金銭的な利益に結びつかないと思う人間は絶対にこういう読書はしない。
2.優れた人と会うこと
これも心の持ちようではないか。まあ...いろいろあるが、もし今以上の心的発達を望むのなら立ち止まらずに「自分よりずっと優れた人」と会う機会を作ろう。
どんなに優れた通信教育も、AIによるパソコンの対面教育も....心から尊敬できる人間に会った時のimpactには負ける。
ここで言う「優れた人」とは固定化され限定化された人間ではない。あなたが、かかわる今現在の世界で本当に尊敬できる人だ。
そのような人に出会うと、何か「心に涼風」が吹くような爽やかなものを感じないだろうか。それが大事だと私は思う。
本はその中に生きる作者の魂を感じられるかどうか...だがこの場合において相手は現実に同時代を生きているところに意味がある。
皆さんは...なんだそれ?.....現実の生活や仕事はどうするの?
と言って笑うだろう。
私にとって(ひょっとすると..あなたにとって)、この先の人生をどう生きたらよいかの助言や具体的な何かアドバイスを得られるかもしれない....と考えると房州の果てまで、或いは信州の山奥でも私は行く。
コスパになんて全然あう訳はない。でも人生は「コスパ」だろうか?
人間の価値には2つある。
一つは、誰もが大好きなで追い求める「経済・物質」を生む価値。
もう一つは「存在の価値」だ。
人間は機械でもAIでもない...悩み、悲しみ、努力し、信頼し、裏切られる。
でも、それでも何かのために生きて行かなければならないのが人間ではあるまいか。
その過程をしっかり受け止めて生きる人間の姿は眩しいくらいに輝いている。
その人間が病み..年老いて...何の生産性もなくなったらゴミなのか?
何もできなくなった人間にも後に続く者へ語り伝えることがある。それは人生で出くわした峻厳な事実のひとつひとつだ。その時にいかに悩み苦しんだか....自分としてどうやって切り抜けて今の自分があるか。
いわば、人の一生は壮大な「実験」である。事実による検証ほどそこから得られる実体験は大きな説得力がある。
優れた人間は決して一つの分野の能力が高いにとどまらない。こちらの聞きたいことに心から傾聴してくれる。こうした人は国の宝である。
3.旅に出よう
T先生が力を入れてあの時に語られたのは「旅にでる」話だったと記憶している。端的に言うなら「旅に出る前の自分」と「旅から帰って来た時の自分」には大きな違いが必ずあるということ。先生は皆それぞれに自分の魂が変容していることに気が付くはずです...とおっしゃった。
さらに「旅」と「旅行」は違うとも。
できるだけ遠くに...ホテルはocean viewで最高の部屋。ご馳走を食べ、観光地をまわる...そんなimageを旅行と言う。そういう遠出もまた人には必要だ。
その一方で、昔から「可愛い子には旅をさせよ」という。この「旅」は子供を大人にする。家の保護もなく親を頼ることもできない。おなかを空かせて世の波風をただただ自分一人の力で過ごすこと...親にしてみれば不安と心配で食事ものどを通らない日々であろうと思う。子供は一切のワガママを言えず、自分が信じていた理想も厳しい現実の社会では何の役にも立たないことを知るだろう。数日、一週間いや...一か月でも親元を離れた子供はもう別人になって帰ってくる。これこそ子供なりに成長した「魂の変容」があったのだと思う。
T先生の話の圧巻は「東京から四国への家出」の話だった。先生は「人間いかに生くべきか?」を中学生の頃から悩みに悩んだ。その理想の人物例をあの坂本龍馬に求めたそうである。わずかにためておいたお小遣いで東京駅から四国までの切符を買い、当時の国鉄鈍行を乗り継いで見事な家出を決行した。
連絡船で四国へ渡った中学生の先生は四国八十八か所の霊場巡りのお遍路さんの一行に入れてもらい...お結びをもらいながら歩き続け...ついにはあの桂浜へ。
龍馬の銅像の下で朝まで寝てしまったんだ...太平洋から昇ってくる太陽があんなにも力強く見えたことはなかったね。もちろん「龍馬が行く」の単行本を懐に入れてだよ..と目を輝かせて先生は語られた。
「真面目に勉強するのもよいだろう。でも心に熱い何かがなければ志は実らないからね」
学生はシーンとして感激のあまり誰も何も言えなかった。実際に「龍馬が行く」の全巻を神田で求め読みふける者...T先生の足跡をたどるように高知の桂浜をめざして旅に出る者までいた。
今の若者たちがどうやって生きる道を探すのかそれぞれあるだろうが、昔は本当にこのようにして自分の心の中を見つめたものだ。
せっかくこの世に生まれたのだから、自分の役割を知って生きなければなぁ。