進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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富士五湖は永遠に
2022.08.06
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私が幼稚園~小学校のころだから、もう半世紀以上前になる。
当時やっと東名高速が開通して中央高速はまだ部分開通だった頃だと思う。自家用車もまだ珍しいころ、父は社用車兼自家用車のパブリカで時間と体力の許す限り本州を走りまわったが、何故か釣りばかりのなかに「富士五湖と甲府のブドウ狩り」だけは必ず毎年の夏に出かける年中行事だった。
当時は自宅が東京の練馬だったから、ロケーションから考えれば....なんとか御殿場まで行き籠坂峠をこえて山中湖のルートだったと思う。
あの頃はまだ「空冷エンジン」のクルマや「2サイクル混合ガソリンの軽自動車」が多かったから、今では信じられない故障で山道の登坂でボンネットを開けて動けなくなっているクルマをよく見たものだ。
エンジンのオーバーヒートだ。
今のクルマは水冷エンジンでラジエーターの冷却水も「水」ではなく「クーラント」が充填されているからエンジンの冷却系の故障はまず起きない。
まあ経年劣化で10年を超えると「ファンベルト切れ」「サーモスタットの固着」で人生初めてのオーバーヒートでエンストを体験することもあるだろう。
またまたこちらのほうに話がそれていきそうだ....閉話休題。
当時はまだアウトドアなんて言葉もない時代だ。登山は...あった。
キャンプ場がようやく各地にでき始めたころだった。
でもまだ、一般人には「そこまで徒歩で登ってキャンプする」のはレベルが高かった。
家族サービスで何とか出来たのが「東京からの週末~日曜日」のロングドライブだった。
東京都内にあるとあるとして、北は日光・那須。南は伊豆半島。西が「富士五湖と甲府」だったように思う。鎌倉~江の島は当時の湘南族であまりにごった返していて身動きがとれなかったから若者にまかせて、家族連れはより遠方を目指したのだと思う。
今の子供はどう思うか...どう感じるか、塾で彼らと接する自分にもよくわからないが、幼稚園児だった私には、初めて見る甲府盆地のブドウ園の「たわわに実ったブドウが見上げる空一面にぶら下がっていた」こと....の驚嘆すべき事実。クルマで走ると次から次へと現れる富士五湖の美しさ...そのすべてが違うという驚きは今でも鮮明に覚えている。
わけても忘れられない強烈な思い出は精進湖のヘラブナだった。
幼稚園に行く前にすでに埼玉県川越にいたころ「フナ(マブナ)釣り」はしていたけれど、マブナはせいぜい15cmくらい。精進湖のヘラブナは巨大だった。「帰る時に放す(今でいうリリース)んだからボクにあげるよ」と言われて数匹をバケツに入れてもらったが全部30㎝より大きかった....こんなフナがいるのか!?
この巨大フナの体験は私が生涯をかけて「釣り」を趣味にすることになる大きな出来事だった。
精進湖のこの場所は私の記憶の中で' Tresure Isand(宝島)'となりクルマのナビに地点登録されている。
そんな想い出が富士五湖にはたくさん染みついている。
景色を見るときに人は写真のように写実的に見ることはできない。
そこには必ず想い出が投影されている。
悲しい..楽しい想い出の富士五湖