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外房への想い

2022.07.20

千葉県房総半島は三浦や伊豆の半島に比べたら本当に広い。地理の好きな人、旅行が趣味の方は関東地方千葉県の地図をご覧いただきたい。

この大きな半島の外洋に面した側....利根川河口の銚子~延々と続く九十九里浜。さらに南へ進み野島崎・洲崎...館山くらいまでが「外房」になる。

祖父(西川豊治)は外房の御宿(おんじゅく)に生まれた。御宿がわからない人でも勝浦と言えばアッと思いつくだろか。シャチの曲芸で有名な鴨川シーワールドを通り過ぎてあと40分くらいだ。

御宿は私の記憶にある50年前とほとんど変わらない。御宿駅から海岸にかけては大きなホテルが出現したが、内陸部の景色は「低い丘と水田」の緑濃き昔のままだ。

そんな御宿内陸部の「実谷(じっこく)」という地域に祖父の生家はある。母の従兄弟の子にあたる方があとを継いでいたが2年前に亡くなり今は高齢の夫人がいるのみ。

古い農家ではよく自宅から近い畑の中に先祖代々のお墓がある。埼玉県にいたころ大きな農家の友だちがいたが、彼の家の広大な畑の一画に...こんもりとした周囲を低木で囲まれたたたみで6畳ほどの場所があった。そこには古い古い墓石が立ち並んで何とか判読できる年代では江戸時代の「享保」「寛永」があったことを思い出す。

祖父の生家でも同じ。

田んぼの中に墓所があった。江戸時代までの年号はなんとか読めたが、もっと古いものは墓石の風化が進んで判読ができない。少なくとも江戸時代のどこかから西川の先祖がここで暮らしていたことの証左ではあると思う。

数年前に亡くなった旧海軍航空隊の伯父はかつて「壇ノ浦で平家が壊滅してからウチの先祖は黒潮に乗って源氏の追手から逃げのびたんだ。だから紀伊半島の先端や房州の勝浦・御宿には西川の名前が多いだろう..」と言っていた。西川のご先祖は平家に仕える..すくなくとも平家側について戦った家だったのだそうだ。今となっては事の真偽を確かめるすべもないが...

実際に勝浦へ行くと「西川造船・西川水産・西川運輸・(株)西川」など西川姓の会社が多い。ほとんどが海に関係する会社であることに驚く。

私にとって外房へ行くことは祖父の魂に会うこと、西川のご先祖に挨拶すること。

だから毎年でも、できれば半年に1回でも行きたい。

おじいちゃんありがとう。おじいちゃんが明治の東京に出て頑張ってくれたこと、あの関東大震災と東京大空襲に生き残ってくれたからこそ自分が今生きていられるのです。

心より感謝

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