進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
-
Ancestors
2022.07.13
-
今日からお盆。
子供のころから不思議だったけれど、どうもお盆には2つあるらしい。
江戸時代までは暦は月の満ち欠けを基準とする太陰暦だったから約1か月ずれて8月の今頃がお盆だったようだ。明治に入って西欧に仲間入りするため明治政府は現在の太陽暦に改めた。
....ここで東京では新暦に従って7月の13日~16日の新盆。地方ではちょうど夏の農繁期にあたるためそのまま旧暦の旧盆で月遅れの8月13日~16日がお盆になるのだそうだ。
難しいことはまずおいて単純に考えればお盆は「あの世の夏休み」だ。ご先祖の霊がこの時期に子や孫のいる現世の家に帰ってきて4日間を楽しくともにすごす。
子供の頃に近所のおばあさんが玄関先で小さな焚火をしたり、キュウリやナスに割り箸をさして馬を作ったりしていたことを思い出す。今から思うとあれがお盆の「迎え火」だったんだなぁ...と。
私自身はクリスチャンではあるが、その前に日本人だもの。自国の歴史や伝統には深く思う所がある。キリスト教だって毎年の' All soul's Day :諸魂日'には教会墓地に司祭さまと墓地礼拝(お墓参り)に出かけるではないか。
亡くなった人を忘れてはならない。死者への憐れみ...という点では仏教もキリスト教も同じではないかと思う。
縄文・弥生時代の日本には純粋な「祖霊信仰」があり、世を去った先祖たちはは周囲の丘から子孫たちの毎日を暖かく見守っていると信じられていた。
後に仏教が伝来するとこの祖霊信仰と融合して....年に一度の数日間を先祖の霊が子孫の家で安らぐというお盆となったと言われる。
これが江戸時代以降になると、江戸へ出稼ぎに来ている奉公人が「藪入り」と言って夏のお盆・年末年始に連休を商家からもらって実家へ里帰りすることが慣習化した。
だからだろうか....毎年夏のこの時期と年末~年始は都会から田舎へ何が何でも帰省しようとするようになり、高速道路の50㎞渋滞なんて当たり前だ。
ローマカトリックの宣教組織であるイエズス会は日本宣教にあたり血のにじむような努力をして日本語⇔ポルトガル語の辞書を作っている。1600年関ヶ原合戦の年のことだ。
その日葡辞書のなかに' bon '「盆」の項がある。
「日本人が先祖の霊を迎え共に過ごす夏の風習」との説明だ。簡潔にして要を得た名訳と思う。さすがは全世界のキリスト教宣教をリードしてきたのはイエズス会だ...と自負するにふさわしい言語学上の努力と思う。その努力もすべては神のみ言葉を伝えるためだ。
400年も前のイエズス会が研究し受容していた「お盆」を今の日本では理解せず、その「先祖の霊とともに過ごす貴重な数日間」をないがしろにしているのではないか?
お盆は自分たちのため?
トンデモナイ!
私は大きな危惧を感じないではいられない。
あなたは自分がいま自分の力だけで生きていると本当に思っているのだろうか?
神..という概念を取り去ったとしても、少なくとも....過去に世を去った親や祖父母...さらには先祖たちの努力と悲しみの涙の犠牲の上に初めて自分が今ここにいるのだ。
その中のどれ一つがかけたとしても自分はここにいない。
私はそう思う。
最近は釣りばかりしているバカ信徒と司祭さまには思われているかもしれないが、私にだってそのくらいの先祖への思いはある。
だからこの暑い夏のさなか...新盆でも旧盆でもよい。
お墓参りに行きましょう。
行けなければ...自宅に祭壇も仏壇もなければ「先祖の苦労と涙を思い」心のなかで手を合わせよう。それだけでよいと思う。
最早そこには宗教宗派の別はない....でも心には平安が訪れるのではないだろうか。
形のないものにこそ最高の価値がある。
そう思えるか否か....にすべてはかかっている。