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進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室     の日記

Yokota Air Base

2022.07.12

久しぶりに横田基地の名を聞いた。安倍元首相の突然の死を悼みアメリカの代表が通夜に出席するために特別機で来日したのである。

横田基地は在日米空軍の基地だから、こういう時にアメリカは他の同盟国よりずっと便利だなあ...と思う。昔の話だが、小学生のころにあしかけ5年間を埼玉県に住んでいたことがあった。自宅から東村山の伯父のところに行くたびに横田基地を通ったことを思い出す。

とにかく広い....天気が悪い日には基地の反対側が霞んで見えないくらいだった。国道は基地前でいつも渋滞していた。ゲートの前でこちらから見ていると、MP(空軍は何というのだろう?)が基地を出入りするクルマの通行証IDをチェックしているのが見える。

基地に勤務する空軍の将兵と軍属、さらにはその家族。加えて基地勤務の日本人職員。
渋滞しないほうがおかしい...朝夕のラッシュはどの在日米軍基地でも同じだ。

そのころにはもう衰退し始めていたが「ドライブイン」なる施設が日本の国道沿いにあった。今でいうなら民間経営の道の駅のようなもの。トイレと食事がその主な使用目的で高速道路のPA/SAにも似ていた。食事のメニューは「ラーメン」と余裕があれば「カツ丼」がメイン。言いたくないが「まずい」....この上なく。全部完食しないと親父にアタマをガツンと殴られるからひたすらガマンして食べたことが懐かしい。

その屋上が....日米安保条約そのものだった。

ドライブインはおおむね2F建ての鉄筋コンクリート造だったが、屋上には3分で10円の20倍双眼鏡が固定されていた。横田基地の滑走路は南北・東西の2方向にあったと記憶している。飛行機はそのときの風向で離着陸方向が変わるから....

双眼鏡で見える側の滑走路には大体において「軍機に抵触しない輸送機」が駐機していた。実際に見えたのは..私も子供だったから詳細には覚えていないが「ハーキュリー」という巨大なプロペラ(レシプロ)エンジンの輸送機だった。

イヤなうわさも聞いた....

そのころはまだ南ヴェトナム共和国があり首都サイゴンが繁栄(?)していたころだったから沖縄の嘉手納基地から出兵した米兵が戦死....B-52にのせられて横田基地に帰還。

バラバラになった米兵の身体を米本土の葬儀に間に合うようつなぎ合わせて整形する必要があった....それは残酷な事実だ。

そのために日本政府が米軍からの要請で日本人レジデント(研修医)や医学生を急遽招集して高額な信じられない破格の給与でこの戦死者遺体の修復作業をしていたと聞いた。

B-52は.....太平洋戦争の時の東京空襲のB-29の後継機だが北ヴェトナム爆撃任務だけではない。

深夜に当時横田基地を離陸して米本土に向かうのは戦死者は黒いジッパーの遺体袋に入れられたB-52の特別便だった。

今では横田基地内に日本政府の「思いやり予算」で造られた米空軍将兵と家族にための豪華なホテルのような宿舎がたっている。

教会チャプレンの話を聞いても...私は心中複雑な思いだ。黙れと言う圧力?

誰も言わないけれど、日本は本土に居住する日本人の「生命と財産」を周辺国から守るためには2つしか選択肢はない。

このまま日米安保条約を更新し続け、アメリカに多大な駐留経費を支払って...その東アジア戦略に巻き込まれながらもなんとか現状維持で行くか....

米軍には国内から完全撤退してもらって、自衛隊を国軍の位置にまで引き上げる。当然今の憲法は改正されるだろう。

これが国際周辺の現実なのだ.....だれも言わないけれど。

日本の国民が思わず、絶えず思わせないように働く圧力のウラに何があるのか...


横田空軍基地に着陸する米弔慰団を見ていろいろ考えてしまった。

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