進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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安倍首相と硫黄島
2022.07.10
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安倍元首相が凶弾に倒れた.....誠に悲惨にして悲痛な事件だ。日本の歴代首相で凶弾或いは凶刃に倒れた首相は7人。ハルピンで暗殺された伊藤博文に始まりその末尾に安倍首相が加えられるとは誰が想像できただろう。
硫黄島の米軍上陸作戦図。
伯父から聞いた通り当時は飛行場が3つあった。現在は1つのみ使用。左下の岬に等高線をひいた山が「摺鉢山」。山頂に星条旗を立てた瞬間の写真がアメリカの新聞に掲載されると国民の愛国心を奮い立たせたそうである。
もう10年近く前になるが2013年の4月に安倍首相は小笠原のさらに南「硫黄島」を訪れ戦没者の慰霊と遺骨収集の現場を視察....作業服にヘルメット姿で蒸し暑く狭い栗林中将が最後まで指揮をとった「地下司令部豪」の司令官室まで身をかがめて入っていった。
もっとも驚いたことは乗機をおりた滑走路で....首相が跪き路面に額が当たるほど身をかがめ....周囲がどうしたのかと思うほどのあいだを祈っておられたことだ。
安倍首相は知っていたのだと思う。
米軍は硫黄島の激戦の果てに辛くも勝利したのだが、日本軍の造った飛行場滑走路を1日...いや1時間でも早く修理・舗装して運用しなければならない血を吐くような要請があったからだ。
もうこんなことは誰も言わないけれど....
敢えて言おう。
マリアナ諸島を島伝いに占領した米軍は「サイパン・テニアン島」の航空基地から日本本土爆撃のためにB-29を発進させたが、日本側の高射砲と防空戦闘機によってダメージを受け基地まで戻れず多くは海面に不時着....生き残りの乗員は緊急ゴムボートを膨らませて洋上に脱出するも.....救助のPBY飛行艇が間に合わず...サメに食われるという残酷な事実があった。
あたかも広島に投下する原爆をテニアン島に運んだ重巡インディアナポリスの乗組員と似た運命だが......
硫黄島は東京とマリアナ諸島のちょうど中間点に存在する。
米軍にしてみれば、傷ついたB-29の不時着のため...これが硫黄島攻略占領の第一目的であった。
ついでは硫黄島をB-29の発進基地にできれば日本本土爆撃空襲の割合を計算上2倍に増やせる。特に意味があるのは、硫黄島ならグラマンやP-51の護衛戦闘機がB-29に随伴していって日本側の防空戦闘機を追い払うこともできる。
そこまで具体的な喫緊の要望があつたから、米軍は多くの...数千人とも1万人以上とも言われる日本軍守備隊の戦死者を急遽現在の滑走路の下に穴を掘りブルドーザーで埋めて簡単なメモですませ、滑走路の建設を徹夜で急いだ。
その埋葬地図が米軍から最近公表されてからが大変なことになった。
いま、自衛隊が使用している滑走路のまさにその下に当該数の英霊が眠っていることが明らかになったのだ。自衛隊宿舎に心霊現象が今まで起こっていたとしても当然だろう。
一度、政府として滑走路をもう一度掘り返して遺骨収集にあたりたい....というニュースを過去に見た気がするが....その後の進捗状況はいかがなものか?
安倍首相はこの時に滑走路の下に眠る英霊を思って...思わず跪き首を深く垂れてくださったのだろう。暖かい人だ....ありがとう安倍さん。
私的な話で恐縮であるが、伯父は旧海軍航空隊で硫黄島守備隊にもいた。米軍上陸前、飛行場が破壊される直前、最後に硫黄島を離陸した海軍機は伯父の機である。硫黄島離陸後すぐに敵radarに捕捉された。
空母発艦のP-51編隊につかまり房州館山の航空隊の対空砲が届くところまで追われ、後方からの機銃掃射を受け続けたそうである。近いうちに休みを取り自衛隊基地見学の許可を申請して伯父の慰霊に行きたいと思う。
LSTから飛び降りて上陸する米軍。ヘルメットから見て海兵隊。
熾烈な日本軍守備隊の射撃によりまったく進めない。
現在の硫黄島航空基地。当時の砲爆撃にさらされた硫黄島の航空隊基地はいかばかりであったろう......
注 硫黄島の日本語による正確な読みは「いおうとう」である。現在多くの場合「イオウ
ジマ」と読むが、これは1945年の硫黄島作戦で米軍が日系二世の兵に読み方を尋ね
たところ「イオウジマ」であるとのことで以後の米軍表記では「イオウジマ」になっ
た。その逸話を知っているのか在日米軍の関係者は日本人と話すとき「イオウ」と言
う。言語上の最大公約数なのか。