進学セミナー西川塾 城星教室 / 十足教室 の日記
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釣り..事始め
2017.11.18
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「蘭学事始め」と江戸時代には言ったが、誰でも人生初めての「事始め」がある。
私は父の仕事の関係で幼稚園から小3までは埼玉県で過ごした。幼稚園のころはザリガニ獲りに夢中になり家中を大小さまざまなザリガニの水槽で一杯にして、合間にはAmerican schoolに通っていたことをよく覚えている。
小学1年の夏休みに千葉の冨浦の海岸に泊りがけのキャンプに行った。当時はキャンプ場があるわけでもなくクルマに何とか1日生きて行けるだけの「食料・水・着替え・薪..」と何処で手に入れたのかテントを積み込んで東京の自宅を明方に出発した。
湾岸道路もないTDLなんてあるわけもない...ひたすら朝の渋滞が始まらないうちに京葉道路(..はあった)を千葉に向けて爆走する。
そのころの東京湾はまだ綺麗だった。木更津ではアサリ・ハマグリがこれでもかと言うくらいに獲れた。ウナギ・アナゴなど夜釣りで商売ができるくらい釣れたものだ。
このころ「うみホタル」はまだなかった時代だ。東京湾カーフェリーの「川崎~木更津」航路は全盛期だった。
冨浦には大房岬という小さな岬があり東から西に延びている。この岬の南側はもう「館山湾」である。北側には漁港があり波静かな小湾を形成している。
当時この大房岬にかなり大きな海蝕洞(波の浸食でできた海岸の洞窟)があった。どういう訳で父がこれを知っていたのか訊きもしなかったが、誰もまだやらないアウトドアなるものをやってみたかったのではないか。進駐軍の兵隊たちが基地の仲間や家族ぐるみでやっているのを見て自分も...と思ったのかもしれない。
朝、目が覚めて生まれて初めて父と釣りをやったのはここ冨浦の海岸だった。
多分大潮の満ち潮にあたったんだろう。
グングンと水かさが増してくる内湾の磯であっと言う間に「入れ食い」になった。
竿なんてあのころは竹の並継ぎ竿しかなかった。太いナイロンの道糸。玉ウキ。エサはそのあたりで父が掘ってきた「ゴカイ」のチョンがけだ。
ただ魚種だけは豊富な昔だった。
手のひらくらいのメジナ、各種のベラ、カワハギ、ウミタナゴ....まあ内湾にいる全魚種がバンバン釣れた。釣れて釣れて困ったっけ....楽しかったなぁ。
嬉しくて死にそう...の初体験であった。これは麻薬だ! That must be drug!
今ならreleaseするサカナばかりだけれど、大事にクーラーボックスに入れて持ち帰り全部しっかり食した記憶アリ。
このあと「利根川河口銚子のハゼ」「外房勝浦の巨メジナ」の実体験がありタマラナイ嬉しさを追加。現在不動の「釣り」につながる。
ハゼ・メジナはあとの話にとっておこう。
今はすべてを演繹した果ての「マイボートアジ釣り」に。アジ道の精進を重ねる日々となった。
父に感謝...