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ソ連軍 ラーゲリ....

2017.10.20

「ラーゲリ」はロシア語だから私にはspellingも正しい発音もわからない。意味は「捕虜収容所」だそうだ。

西川の一番上の伯父は偉かった。千葉の外房から上京して会社を興した祖父が愛情と経済をつぎ込んで育て上げた「西川の希望の星」だったそうだ。

あの時代に慶応の経済学部を出てから軍に入り、様々な経緯で陸軍の関東軍へ。士官だった伯父は終戦とともにソ連軍の武装解除を受け、ハバロフスクのラーゲリ(捕虜収容所)へ送られた。

当時のソ連は大規模な労働力不足に陥っていたことは事実である。それはユーラシア大陸の遥か東でのドイツ軍との戦闘で若者のほとんどが戦死してしまったためであった。

ゆえにソ連軍は捕虜にした日本兵をその穴埋めのための労働力と考えた。こういうことは善悪ではない。戦勝国は新たなルールを作り、信じられない法律を作る。

伯父の部隊は降伏時に200人いたが日本に帰国できたのはたった2人だけだった。この事実を見てもどれほど劣悪な環境だったかわかるだろう。

1日に与えられる食料は「大さじ3杯の小麦粉と1かけらの岩塩」だそうだ。

スプーンもない。

小さな鉄の棒を見つけて線路に置いて機関車の通過後に拾いに行くと「不格好なスプーン」の出来上がりだ。

伯父たちの日本軍捕に割り当てられたのは「シベリア鉄道の建設」作業だった。
マイナス20℃になる現地でも冬服や防寒具は一切支給されなかった。

広大なロシアの大地のシベリア鉄道の東端を地図でみるたびに伯父の苦労を思う。

伯父は私が生まれる少し前に最後の復員船で帰ってきた。

伯父の写真は実家の仏壇に飾ってある。


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