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「やばい」話・はなし...(はナシ?)

2017.06.23

若者言葉の「ヤバい」「ヤバいっすよ」は巷(ちまた)で盛んに使われるようになり、中高年のオジサンのみならず女性までも違和感なく使われるようになった...と思っていた。

ところがである...古式な言い方をすれば「豈(あに) はからんや..」やはりこういった傾向に危機感を覚えて歯止めをかけようとする動きがあった。やはり教育関係が動きだしたようだ。まずは以下の新聞記事をお読みいただきたい。

<h1 style="background: none; margin: 0px 0px 15px; padding: 0px; outline:
0px; border: 0px currentColor; line-height: 1.4em; font-size: 32px; vertical-align: baseline;">息子が通う中学校の先生が「やばい」という言葉の“使用禁止令”を出したそうだ<h1>
2017年02月27日 17時31分

 息子が通う学校の先生が「やばい」という言葉の“使用禁止令”を出したそうだ。禁止令というと大げさだが、「やばい」という言葉をなるべく使わずに表現してみなさい-ということだろう。それほど、この言葉は若い世代に浸透している。
 本来は「危険」「不都合」の意味の隠語。困ったときに「やばくない?」などと言う。文化庁の2014年度「国語に関する世論調査」でも指摘されていたが、近年はいい意味で「まじやばい(素晴らしい)」などと話す人が増えている。驚いたときに「やばい、やばい、やばい!」と連呼することもある。
 「語彙(ごい)力の低下」と言ってしまえばそれまでだが、プラスに考えると、一つの言葉をこれほど多様に解釈できる柔軟性を、若い世代は持っているのだろう。そのみずみずしい感性で、情景や心情を表現する言葉の数々も学んでほしい。新しい世界が広がるかも、と思う。 (簑原亜佐美)
この記事は2017年02月27日付で、内容は当時のものです。

記事を読む限り記者はかなり肯定的に捉えているようだ。それも一理ある。私も英語という言葉を教えることを仕事にしているから、言語については人一倍反応してしまうからこまる。

言葉は自由だ...と言いつつも、やはりその人の話す言葉は「その人の人格」をあらわす。これは英語でも日本語でも同じ。思いやりのない人は思いやりのない言葉を話す。愛情深いひとは相手の心を思って話す。

硬いなぁ...と自分自身で思うのだが「自分自身の中にある何か」を相手に伝える手段にいくつかあると考える時にその代表例の第一に挙げられるものが「言葉・言語」であることを考えれば、外部にappealする「はなし言葉・書き言葉」により慎重になるのは極めて当然と思う。

よく「自分はこんな人間だから」「私は言葉がキタナイから」と開き直って、魂も消え入るような凄いことを言う人がいるが、あれはいかがなものだろう?

「異文化間コミュニケーション」という科目が大学の4単位科目にある。これは1年間かけて学び終了試験もかなりシビアな「重たい」科目だ。内容の重要さに気づいた学生が選択するので、英文・国文・歴史・法学部などさまざまな学生が集まる人気の科目になりつつある。(現在完了進行形?)

言語・歴史・文化・伝統・宗教の違う外国人と摩擦なくどう?ウマく付き合うか....

これがこの科目のメインテーマだ。

日本人の我々だって価値観や歴史・伝統を無視され、或いは相手が意識するとしないにかかわらずそういった形のない...でも日本人が大切に思うものを踏みにじられ冒涜されれば無意識に頭にくる....その摩擦と事故をなんか回避しようという学びが「異文化間コミュニケーション」だとお考えいただけたらわかりやすいと思う。

そのなかでは衣服・表情・挨拶なども重要な相手へのメッセージだが、やはり第一義的には「言葉に慎重であれ」ということの大切さが繰り返し述べられている。

恐ろしいことに、数年前までは一部の芸能人が好んで使っていた特殊な言葉や表現がアッという間に一般化することがもはや当たり前になってきた。

「ヤバい!」はその好例だろう。

言語は進化する。

この事実は英語でも日本語でも同じであるが、言語の持つ柔軟性と捉えるか、言語の低俗化への危機感と考えるか。それさえも個人の自由というところに帰結してしまう。

日本国憲法には「表現の自由・価値観の自由」が保障されている。その自由が国家によって守られていることが規定されている。

しかし「権利は保障する」がその結果生ずるであろう「義務+自己責任」については明文化していない。「覚悟はあるんだろうナ?」という当然の帰結として条文などないわけである。

大学の1年次にある一般教養科目に「憲法」があるのはそのためだ。学生課は選択科目についてはきめ細かく案内するけれども「一般教養科目・専攻科目」は詳しく説明しない。

「ヤバい!」という言葉をリポート・単位習得試験・卒論の中で使ってみるといいだろう。そしてその結果から生まれる責任を本当に負う覚悟はあるんだろうか?


本当に申し訳ないが、何かと「ヤバい!」を連呼する人を見るたびに複雑な心境になる。

「ヤバい!」この言葉で解決できるほどすべての人にとって人生はclear cutというわけには行かない。


「やばい」話・はなし...(はナシ?)

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